雑誌の図書館「大宅壮一文庫」が〈入館無料デー〉を11/23に開催 川端康成が盟友・大宅壮一の葬儀で読んだ直筆弔辞の原本を初公開
日本初の雑誌専門図書館で明治期からの雑誌80万冊を所蔵し主要記事の索引を社会に提供している公益財団法人大宅壮一文庫(東京都世田谷区八幡山)は、11月23日(勤労感謝の日)を「入館無料デー」に設定し、多彩な企画を展開します。
メインは、文豪・川端康成が盟友だった大宅壮一の死を惜しみ1970(昭和45)年11月28日、東京・青山葬儀場での葬儀で読んだ直筆弔辞の原本展示で、一般向けには初の公開となります。
【日時】
11月23日午前10時~午後4時
※当日の状況によっては入場制限を行う場合があります。
【所在地】
東京都世田谷区八幡山3-10-20
[アクセス] 京王線八幡山駅(快速停車)から赤堤通りに出て徒歩8分
川端氏の弔辞原本、初の一般公開 盟友・大宅壮一を「哀惜追慕」
この催しは当初、昨年5月に大宅文庫が開館50周年を迎えた際の記念行事として企画されましたが、折からのコロナ禍の拡大で延期されていました。1年半遅れでの実現となります。
展示される弔辞は縦36センチ、横2.3メートルの和紙に毛筆で書かれ、字数は1090字にものぼります。文面では川端康成が大宅壮一(1900~1970年)の生涯の功績を「私が何を贅言することがあろう」とたたえた後、「大宅君に四、五十年前に恩義を受けながらなんら酬いる事のなかった者」と自身を謙虚に省み、そのうえで「哀惜追慕悲悼する念、列席のうちの多くの人よりも深痛が切ではないか」との言葉で後輩の大宅を失った悲しみを吐露しています。
大宅壮一と川端康成はともに旧大阪府立茨木中に通い、互いの結婚後に一時は東京・阿佐ヶ谷で隣り合って暮らすなど、二人の長い盟友関係はよく知られていましたが、この弔辞からは大宅に対する痛切なまでの思いが改めて読み取れます。世界的な名声を遺した昭和の文豪の一面をしるす貴重な資料といえます。
この弔辞の複製は埼玉県越生町の大宅文庫分館に以前から掲示されています。葬儀から半世紀余りが過ぎ、原本の存在は半ば忘れられていましたが、50周年を前にした昨年春に、大宅の書斎を復元した文庫内の応接ブースで、書棚の奥から巻物に表装され分厚い風呂敷に包まれた完璧な保存状態で見つかったものです。
80万冊の書庫巡りなど多彩な企画ズラリ
「入館無料デー」ではこのほかにも、一般の方向けの多彩な催しを展開します。主な内容は以下のとおりです。
◇川端康成作品・掲載雑誌 (大宅文庫が所蔵する中から約200誌)展示=閲覧できます
◇大宅壮一関連品の掲・展示
(1) 大宅追悼文掲載紙誌(大宅文庫所蔵の約30件)
(2) 大宅直筆原稿(同約30点=『サンデー時評』など)
(3) 大宅の生前写真やゆかりの品々など
◇80万冊が並ぶ書庫めぐり:通常は非公開。明治期から現代までの雑誌80万冊が地下から2階までの3層にわたってぎっしり詰まった〝迷路〟を案内します。
※午前11時からと午後1時からの2回、 各先着10人まで。
◇「大宅壮一なりきり体験」:大宅壮一の生前の書斎を模した文庫応接ブースに希望者を案内します
◇雑誌記事探し方体験:初来館で希望される方に検索パソコンを使って楽しんでもらいます。
【関連】
▼川端康成氏直筆弔辞の一般公開と大宅壮一文庫「入館無料デー」開催のお知らせ〔PDF〕
▼公益財団法人大宅壮一文庫
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