本のページ

SINCE 1991

旧制中学の寄宿舎で、川端康成が熱烈に愛した「少年」とは――川端康成のBL作品『少年』が70年ぶりに復活!

川端康成著『少年』

川端康成著『少年』

川端康成没後50年にあたる4月を期に、川端の私小説でもあるBL作品『少年』が新潮文庫より刊行されます。今作は、これまで全集でしか読めなかった、貴重で珍しい作品。一冊の本になるのは、目黒書店より単行本が刊行された1951年以来、70年ぶりのことです。

 

知られざる川端康成のBL作品『少年』が刊行

旧制中学の寄宿舎で、川端が愛した〈美しい後輩の少年〉。ひそやかな二人の特別な関係とは――。

互いにうなじも唇もゆるしあっていた二人の間に起きた出来事と、痛切な別れ……。本作を執筆するまで封印していた青春の蹉跌とは?
『伊豆の踊子』につながる川端文学の原点に〈BL〉があったとは――。瞠目の問題作、70年ぶりに書籍化!

 
1968年にノーベル文学賞を受賞、1972年に突然の自死を遂げた川端康成。
日本を代表する文豪が、少年時代、〈ヤングケアラー〉ともいえる悲惨な暮らしをしていたことは、あまり知られていません。

 
大阪市天満此花町に生まれた川端康成は、幼くして父母を亡くし、七歳にして祖父と二人で暮らすようになります。家計は貧しく、大坂府立茨城中三年生の時は、学校から帰ると病中の祖父を介護し、世話をする日々。尿瓶の底に響く小水の音を「谷川の清水の音」と表現した感性の持ち主でしたが、客観的にみれば、まさしく「ヤングケアラー」の典型でした。介護の甲斐もなく祖父が死ぬと、文字通り独りになった川端は16歳にして中学の寄宿舎に入り、卒業までここで過ごすことになります。

十代の川端が、孤独と屈折を抱えていたことは想像にかたくありません。そんな川端の前に現れたのが、同室の美しい後輩「清野少年」でした。

 
川端は二人の関係を赤裸々に書いています。

――お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
――床に入って、清野の温い腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のように私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の渇いた脣が彼の額やまぶたに落ちている」
(以上、本文より)

 
うなじも唇もゆるしあっていた川端と少年。
しかしある出来事をきっかけに、少年と会うことを完全に止めてしまいます。川端22歳の夏、京都嵯峨での事でした。唐突な別れの裏に何があったのか。川端が「妬み」と書いたのはなぜなのか……。

 
川端は作中で、自分の心を次のように吐露しています。

――幼少から、世間並みではなく、不幸に不自然に育って来た私は、そのためにかたくななゆがんだ人間になって、いじけた心を小さな殻に閉じ籠らせていると信じ、それを苦に病んでいた。人の好意を、こんな人間の私に対してもと、一入ありがたく感じて来た。そうして、自分の心を畸形と思うのが、反って私をその畸形から逃れにくくもしていたようである。

 
自分の心を「畸形」と書く、痛ましく淋しい自己認識。さらに、「清野少年と暮した一年間は、一つの救いであった。私の精神の途上の一つの救いであった」とも書いています。

 
ではなぜ、あれほど愛した少年との交流を絶ったのか。川端の孤独な魂にとって「少年」とはなんだったのか。そしてなぜ後年、50歳になった時に、本作『少年』を書くことにしたのか――。

 
作家の精神の謎は容易に解けるものではありません。しかし、50年前の自死の謎を考える手がかりが本書にあるとしたら、まぎれもなく〈BL文学〉の名編といえるのです。

 

『少年』概要

 
<あらすじ>

お前の指を、腕を、舌を、愛着した。僕はお前に恋していた――。

相手は旧制中学の美しい後輩、清野少年。寄宿舎での特別な関係と青春の懊悩を、五十歳の川端は追想し書き進めていく。互いにゆるしあった胸や唇、震えるような時間、唐突に訪れた京都嵯峨の別れ。

自分の心を「畸形」と思っていた著者がかけがえのない日々を綴り、人生の愛惜と寂寞が滲む。川端文学の原点に触れる知られざる名編。

 

本書収録、宇能鴻一郎さん巻末エッセイ「川端康成の少年愛」より(一部抜粋)

(そもそも本作は)どこか曖昧模糊、正体を摑ませない。彼の一生もその両極端で選挙の応援などの俗事と繊細な風貌がどうしても一致しない。川端の書もやたらに豪宕(ごうとう)でどこか不自然、無理している感じがある。

(略)

この矛盾がひずみを生じ亀裂にいたり最期の自殺につながったのか。その点でも本作は好悪にかかわらずもっと注目されるべき作品である。

 

著者プロフィール

著者の川端康成(1899-1972)は、1899(明治32)年、大阪生れ。東京帝国大学国文学科卒業。一高時代の1918(大正7)年の秋に初めて伊豆へ旅行。以降約10年間にわたり、毎年伊豆湯ケ島に長期滞在する。

菊池寛の了解を得て1921年、第六次『新思潮』を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。1968(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。1972年4月16日、逗子の仕事部屋で自死。

著書に『伊豆の踊子』『雪国』『古都』『山の音』『眠れる美女』など多数。

 

少年 (新潮文庫)
川端 康成 (著)

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です