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大佛次郎の戦中・戦後2つの未刊行日記を書籍化&特別展を開催

大佛次郎の戦中・戦後2つの未刊行日記を書籍化した『南方ノート・戦後日記』(編:大佛次郎記念館、監修:河西晃祐さん・斎藤理生さん・冨田暁さん・源川真希さん)が未知谷より刊行されました。

また、刊行を記念した特別展〈「南方ノート」と「戦後日記」大佛次郎が見た戦中・戦後〉が2023年8月26日(土)~12月10日(日)の期間、大佛次郎記念館にて開催されます。

 

『南方ノート・戦後日記』について

今回が初公開となる「南方ノート」は、太平洋戦争中の昭和18年11月から約3か月に渡り、同盟通信社の嘱託として南方(現シンガポール、マレーシア、インドネシアなど)を視察した際、6冊の大学ノートに綴った手記。「戦後日記」は、敗戦後の昭和21年3月から25年8月までの8冊の日記です。

東南アジア史、日本文学の研究者2名による解題と、各分野の研究者による監修を経て、書籍化されました。

 
既刊の『敗戦日記』をはさみ、その前後をつなぐ本書には、検閲を想定しない「日記」だからこそ書ける、大佛次郎の“肉声”が詰まっています。戦時でありながら、一見平穏に見える南方の日常の中に作家が見た物とは?敗戦を経て、混乱する被占領下の日本で小説を書くことの意味とは?

 
それら作家の視線を通して浮かび上がる、軍政下南方の日常や、敗戦直後の日本の社会状況といったものは、大佛次郎研究にとって重要であることは云うに及ばず、東南アジア史研究、戦後の文壇史、文化史研究にとっても価値ある史料といえます。

 

特別展〈初公開&出版記念 「南方ノート」と「戦後日記」大佛次郎が見た戦中・戦後〉開催概要

大佛次郎は南方から帰国後「別の生き方が初まっているのである」(『敗戦日記』1944.10.9)と記し、南方体験が自身にとって、一つの転機となったことを示唆しています。

南方体験のもつ意味とは?

また、その体験は敗戦直後の社会的、経済的混乱の中で、どのように作品へと結実していくのでしょうか。

本展は二つの「日記」の記述をたどることで、戦中の南方、敗戦直後の日本で作家が何を見、何を思ったのか、等身大の大佛次郎にせまります。

 
■会期:2023年8月26日(土)~12月10日(日)

■会場:大佛次郎記念館(横浜市中区山手町113)

■開館時間
◎9月まで:10:00~17:30(入館は17:00まで)
◎10月以降:10:00~17:00(入館は16:30まで)
※休館日:月曜日(祝休日の場合は翌平日)

■観覧料:一般(高校生以上)=200円、中学生以下=無料
※横浜市内在住の65歳以上の方は100円
※毎月23日「市民の読書の日」と、第2・第4土曜日は高校生無料
※障がい者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料

■主催:大佛次郎記念館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)

★詳細:http://osaragi.yafjp.org/etc/8079/

 

大佛次郎(おさらぎ・じろう)プロフィール

1897年(明治30年)生まれ、横浜出身。本名は野尻清彦。長兄は星の文学者・野尻抱影。東京帝国大学卒業後、教員や外務省の嘱託として勤務。この頃ロマン・ロランの訳書を出し、その他小説の抄訳などを雑誌に寄稿。

関東大震災の翌年、生活のために書いた「鞍馬天狗」シリーズが人気となり、作家としての道を歩み始めた。その際、用いた筆名が<大佛次郎>だった。以降、50年にわたり、時代小説の他、開化期の横浜が舞台の『霧笛』、現代小説『帰郷』、フランスの歴史を題材としたノンフィクション『パリ燃ゆ』、童話『スイッチョねこ』、戯曲、ライフワークとなった『天皇の世紀』まで、幅広いジャンルの執筆活動を行う。1964年文化勲章を受章。1973年(昭和48年)死去。

 

南方ノート・戦後日記
大佛次郎 (著)

大佛次郎没後50年記念 戦中戦後の未発表ノートと日記 大佛次郎研究にとって重要であることは言うに及ばず ノートを通じて浮かび上がる軍政下の南方の日常や 敗戦直後の日本、被占領下の暮らしや創作の記録など 東南アジア史研究、戦後文壇史、文化史研究にとっても 非常に高い価値を有し、読んでまた興味深い史料 昭和18年11月から3ヶ月、同盟通信社の嘱託として 南方(現シンガポール、マレーシア、インドネシアなど) 視察に赴いた際に記した6冊の大学ノートと 昭和21年3月から25年8月迄 断続的に記した8冊の日記群

 
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