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「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」浅原ナオトさん『100日後に別れる僕と彼』が刊行

『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』の著者・浅原ナオトさんの最新作『100日後に別れる僕と彼』がKADOKAWAより刊行されました。

 

カメラの前で偽りのカップルを演じる二人の青年の葛藤と本音とは? 性的マイノリティへの偏見――その実情とあるべき視点を描き出す『100日後に別れる僕と彼』

2018年に発売され、2020年「腐女子、うっかりゲイに告る。」のタイトルでドラマ化、「僕の好きなものは」のタイトルで映画化された『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』の著者、浅原ナオトさんの最新作が発売されました。

 
『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』では、同性愛者の少年とボーイズラブ好きの女子高生の交わらない恋愛を切なく描いた著者が、今度は社会人を主人公に据え、性的マイノリティへの偏見の正体を、当事者ならではの視点でエモーショナルに描き出します。

 
偏見に対する啓発のためのドキュメンタリー制作に被写体として協力することになった春日佑馬と長谷川樹の同性カップル。ふたりはすでに破局していたが、ドキュメンタリーに意義を感じ、恋愛関係を装いカメラの前に立つ――。果たしてふたりは、取材機関の100日間、真実を隠し仲のいいカップルを演じきることができるのか?

 
破局状態にある同性カップルと、その日常にカメラを向ける女性映像ディレクターのふたつの視点で綴られる物語は、同性愛カップルの恋愛小説であり、仕事の理想と現実に苦悩する女性のお仕事小説。

 
そこに描かれるのは偏見に対する過度な主張ではなく、性的マイノリティの若者たちの日常。この物語の中で、ときには激しく、ときには凪のように描かれる当事者たちの葛藤や本音は、多様性の問題に、私たちがどう向き合えばいいのか、どう向き合うことが正しいのかという問いに、「属性の多様性」と「個の多様性」というひとつのヒントを静かに提示してくれます。

 
【あらすじ】

「認められていない、という感覚はありました。僕たちはどこにでもいる普通の恋人同士なのですが、周りはそう思ってくれないので」

自治体に導入されたパートナーシップ制度を利用したことで受けたインタビューの様子が萌えるとSNSで広まり、世間の注目を集めることになった春日佑馬と長谷川樹のゲイのカップル。一躍時の人となったふたりに、映像制作会社のディレクター・茅野志穂が、性差別問題啓発のドキュメンタリー制作のため、のべ100日間にわたる長期取材をすることになった。

ところが、佑馬と樹の関係はすでに破綻していた。しかし佑馬はドキュメンタリーの意義を感じ、あえて取材を受けることにしたのだった。当初取材を渋っていた樹だったが、佑馬に説得され、二人はカメラの前で仲のいいカップルを演じることに。一見、順調に進む取材。しかし、隠しきれなくなったふたりの溝が徐々に姿を現し始め、ドキュメンタリーは破綻に向かい……。 

“多様な性“への“多様でない視線”に対峙する若者たちの蹉跌と再生の100日間。

 

著者プロフィール

著者の浅原ナオト(あさはら・なおと)さんは、小説投稿サイト「カクヨム」に2016年10月より『彼女が好きなのはホモであって僕ではない』を投稿開始、2018年書籍デビュー。

他作品に『御徒町カグヤナイツ』『彼女が好きなものはホモであって僕ではない 再会』『#塚森裕太がログアウトしたら』『今夜、もし僕が死ななければ』など。

 

100日後に別れる僕と彼
浅原 ナオト (著)

偽りの恋愛を演じる同性愛カップルと、その姿を追う女性デイレクターの記録

性的少数者のためのパートナーシップ宣誓制度について受けたインタビューが、萌えるとSNSで注目を集める春日佑馬と長谷川樹の同性カップル。そんなふたりに、同棲生活を延べ100 日撮影するドキュメンタリー取材の依頼が舞い込み、同性愛者への理解を広めたい佑馬はそれを受諾する。しかし佑馬と樹は実質的に破局していた。佑馬は樹を説得し、ふたりはカメラの前では仲の良い恋人を演じることに。そんなことを知る由もない制作会社のディレクター茅野志穂は、ありのままの彼らを記録しようと意気込むが……。愛を撮る者、愛を偽る者、愛を捨てきれない者。様々な想いが交錯する100日間の幕が上がる。
『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』の浅原ナオトが贈る、“多様な性”への“多様でない視線”に対峙する人々の、蹉跌と再生の100日間の記録。

 
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【試し読み】100日後に別れる僕と彼

 


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