58歳で急逝した作家・山本文緒からのラストメッセージ『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』が刊行
2021年10月に58歳で急逝した作家・山本文緒さんの闘病日記『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』が新潮社より刊行されました。
お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない―― 58歳で急逝した作家・山本文緒からのラストメッセージ
山本文緒さんは会社員を経て作家デビュー、『恋愛中毒』などで人気を集め、2001年に『プラナリア』で直木賞を受賞、その後うつ病を患って書けなくなった時期もありましたが、復帰され、『アカペラ』『なぎさ』などを刊行し、2020年9月には7年ぶりの長篇小説となる『自転しながら公転する』で島清恋愛文学賞と中央公論文芸賞を受賞。2021年春頃より体調を崩し自宅療養していましたが、10月13日膵臓がんで亡くなりました。58歳でした。
「2021年4月、私は突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージは4bだった。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手立てはなかった。
昔と違って副作用は軽くなっていると聞いて臨んだ抗がん剤治療は地獄だった。がんで死ぬより先に抗がん剤で死んでしまうと思ったほどだ。医師やカウンセラー、そして夫と話し合い、私は緩和ケアへ進むことを決めた。
そんな2021年、5月からの日記です。」
余命120日を宣告されて、何をどう書いたらいいのか手探りしながらも、夫とふたり暮らす日々のことを書き続けた134日間の日記。最期まで書くことを手放さなかった作家から読者へのラストメッセージとなる一冊です。
『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』について
【書籍本文より】
■6月6日(日)
寝ても寝ても眠い。
お昼前に一度起きたが、倦怠感半端なく午後もまた寝る。
夜になって少しマシになり、起き上がって夕食。
食後、夫と録画してあった「アメトーーク!」を見る。
アッハッハと笑って全部見終わったら気持ちが無防備になったのか「あー、体だるい。これいつ治るんだろう」と思ってしまい、「あ、そういえばもう治らないんだった。悪くなる一方で終わるんだった」と気が付いてだーっと泣いてしまった。
■7月12日(月)
晴れていて気持ちがいい。
昼食に夫がエビフライを揚げてくれた。カレーチャーハンとエビフライという、大学生向けの喫茶店のランチメニューみたいなお昼を美味しく食べた。
その後新刊用の仕事を少しして、この日記をテキストに落とす作業をした。
夕方久しぶりに入浴し、気をつけているのにやっぱり入りすぎてしまった。
少し熱が出てしまったので夫とゴロゴロしながら、昔誰と誰が付き合っていたらしいとか罪のない噂話をしたりして気を紛らした。
もし国立がんセンターの先生の余命4か月が正解ならば、私の残り時間はあと35日である。なんだかそれを思うと不思議な感じがする。
せめて120日以上は生きて夫に少しでも安心してもらいたい。
<内容紹介>
思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然がんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった――。120日の余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。
著者プロフィール
著者の山本文緒(やまもと・ふみお)さんは、1962年生まれ、神奈川県出身。OL生活を経て作家デビュー。1999年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞を受賞。2020年刊行の『自転しながら公転する』で2021年に島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。
著書に『あなたには帰る家がある』『眠れるラプンツェル』『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『そして私は一人になった』『落花流水』『ファースト・プライオリティー』『再婚生活』『アカペラ』『なぎさ』『ばにらさま』『残されたつぶやき』など多数。2021年10月13日、膵臓がんのため58歳で逝去。
無人島のふたり: 120日以上生きなくちゃ日記 山本 文緒 (著) お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない――。急逝した作家の闘病記。 |
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