「ゲームの代わりにニワトリを飼わせて」 写真家・繁延あづささんエッセイ『ニワトリと卵と、息子の思春期』刊行

繁延あづささん著『ニワトリと卵と、息子の思春期』
写真家・繁延あづささんのエッセイ『ニワトリと卵と、息子の思春期』が、婦人之友社より刊行されました。
親なんて、いつも子どもにはかなわない
本書は、長崎市に暮らす繁延(しげのぶ)家の、思春期を迎えた長男の自立と家族の成長を母である筆者が綴ったエッセイです。
「ゲームの代わりにニワトリを飼わせて」と養鶏を計画してお金を得る長男、コロナ禍に生じた夫のリストラ…。嵐が吹き荒れるような一家の日々に、ついに母が、父が、子と真剣に向き合わざるを得ない「ままならぬ時」がやってくる!
福岡伸一さん(生物学者)推薦
「子ども時代の五感の体験は、かけがえのないもの。巣立ち前の混乱期は、通過儀礼です。」
<本文より>
家に帰ると、机の上に手書きの〈にわとり飼育計画書〉なるものが置いてあった。隅っこには小さく〈飼いたい理由 卵がとれるから〉とまで書いてある。まずい。展開が早すぎて、こっちがどう出るか考えるヒマもない。
長男は世話をしながらニワトリたちを眺め、発見したことや気づいたことを口にしていた。幼いころは子に教え、成長とともに一緒に疑問を持ったり発見したりしたけれど、知識はだんだんと息子のほうが上回ってきていた。
ある日、末っ子が「コッコになまえつけたい。どれがだれかわかるように」と言った。すると、長男がすかさず「名前はつけない。ペットじゃないんだよ。家畜なんだ」と抑揚もなく言った。
精肉を終えると、私は急に料理への意欲がわいてきた。レバーとハツは焼き鳥に、モモは照り焼きに、ガラはおでんになった。脚はラーメンスープにすると濃厚な出汁が出た。肉は噛む程に出てくる旨みがあった。噛むことが幸せな行為みたいにほおばった。
著者・繁延あづささん「あとがき」より
わが家にニワトリがやってきて、山と人間界が地続きだと思えるようになった。わが家に生じた小さな循環は、生きることも、死ぬことも、殺すことも、ひとつのことだと思わせてくれた。命の感触は家族とつながっていた。
書籍部 編集長・小幡麻子さん コメント
思春期の息子には、誰もが手を焼き、どうして?! と悩む。そんな母と息子の対峙のリアルさに、思わずハラハラ、繁延家の台所に立っているような気分にさせられる。コロナ禍、高1になった長男と失業した夫は、しばしば“日曜討論”をくり広げる。どこの家庭にもあり、特別でもある場面の連続。命と命のぶつかりあいには、ざらざらした感情も、やわらかな気持ちも、希望もある。
本書の構成
序章 2017年 夏
1章 ニワトリがやってきた
初めて出会う養鶏家/わが家のあたらしい風景/家庭内別居 ほか
2章 ニワトリのいる日々
地域の人に卵を直配/お金が欲しい理由/人間と動物の間で ほか
3章 “食べ物”は“生き物”
猟師との出会い/これは私の食べ物だ/ニワトリを捌く/命あるもの ほか
4章 家族、この儘ならぬもの
夫のリストラ/父親殺し/計画的家出/母親殺し/少し死ぬこと ほか
著者プロフィール
著者の繁延あづさ(しげのぶ・あづさ)さんは、写真家。雑誌や書籍の仕事を行う傍ら、ライフワークである出産や狩猟に関わる撮影や、原稿執筆に取り組む。夫、二男一女と長崎市に暮らす。
著書に『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)、『うまれるものがたり』(マイナビ出版)などがある。
ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延 あづさ (著) ■親なんて、いつも子どもにはかなわない 「友だちが持ってるからゲーム買って! 」という思春期の息子。 |
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