『父・横山やすし伝説』息子を溺愛、本妻vs愛人、寂しがりや・・・初めて明かす、父「横山やすし」の素顔
宝島社より、木村一八さん著『父・横山やすし伝説』が刊行されました。
木村一八さんが初めて明かす、父「横山やすし」の素顔 当時マネージャー 元吉本興業・木村政雄さんが語る「やす・きよ」ブームの振り返りも
本書は、横山やすしさんの息子・木村一八さんが、これまでまったく語ってこなかった父親について初めて書いた一冊です。
偶然を装い修学旅行先にいたことや、自分の漫才の出番をかえて息子を飛行機で迎えにいったこと、愛人と本妻との直接対決での驚くべき行動、謹慎処分となった事件の真相など、息子だけが知るエピソードが満載。やすしさんの最期の言葉は「愛人の面倒をよろしく」であり、仰天の事実が次々と明かされています。
天才漫才師として活躍していた当時のやすしさんは、世間から破天荒なイメージを持たれていましたが、息子・木村一八さんが知っている父・やすしさんはまったくの別人。家庭では非常に優しく、息子を溺愛する父親であったと語っています。
ほかにも、芸人・横山やすしの仕事ぶりについて、当時のマネージャーで元吉本興業の木村政雄さんが語る、当時の「やす・きよ」ブームの振り返りも掲載。
伝説の漫才師・横山やすしとは!?
1944年、高知県生まれ。大阪・堺で育ち14歳で天才漫才少年としてデビュー。
1966年に結成した西川きよしさんとの「やす・きよ」でブレイク。
上方一の漫才師となるが、1970年のタクシー運転手傷害事件で2年4カ月の謹慎。
復帰後、再度「やす・きよ」は大人気を博し、日本一の漫才師に。
『TVスクランブル』など数々の伝説番組に出演するが、1988年の息子の傷害事件とそれに続く本人の飲酒運転による人身事故で吉本を解雇。
1992年には参議院選挙に立候補するが、落選。その直後、暴漢に襲われて一時重体、言葉は不自由になる。1996年、肝硬変で死去。享年51。
木村一八さん プロフィール
著者の木村一八(きむら・かずや)さんは、1969年、大阪府堺市生まれ。幼年期の3歳から10歳まで父親とは別々に暮らす。
10歳以降、父親と摂津で暮らし、横山やすしの長男として14歳で芸能界デビュー。『毎度おさわがせします』などのテレビ番組で、ワイルドで甘いマスクが話題となるが、19歳のとき傷害事件で少年院に。その後、芸能界に復帰するが、再び傷害事件を起こし、活動の場をVシネマに移す。
現在、グローバルな俳優を目指して中国映画などに出演予定。
横山やすしがラジオ「漫才教室」に初出演したのが、1958年1月。ちょうど60年がたちました。
このタイミングで、父についてまったく語ってこなかった息子の木村一八が、父について初めて本を書きます。
彼が知っている父・横山やすしは、人々が知っている横山やすしとはまったくの別人。
家で子どもに手を上げたことはたった一度だけ。家では非常にやさしい男だったのです。
さらに、一八だけが知っているエピソードも満載。一八が聞いたやすしの最後の言葉は「愛人の面倒をよろしく」だった。
さらに愛人と本妻との直接対決の場面でとった横山やすしの驚くべき行動とは。
誰も知らないその矛盾に満ちた横山やすしの生涯が初めて明らかになります。