気になる本、おススメの本を紹介

B O O K P O O H

『ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか』古代史の「常識」を振り払え!教科書的理解を次々と塗り替える平易でスリリングな歴史教養書が誕生!

田中創さん著『ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか』

田中創さん著『ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか』

田中創さん著『ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか』が、NHK出版より刊行されました。

 

帝国は「古代末期」が面白い! 気鋭の正統派研究者が旧来的なローマ史観をくつがえし、読者を歴史の真の面白さに目覚めさせる!

「ローマ史は五賢帝時代が最盛期で、あとは下降線」。世界史を学んだ人が抱くこんなイメージは、18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンが印象的に描き出したもので、日本にも広く知れ渡っています。

 
しかしこれは一種の「西ヨーロッパ中心主義」であるかもしれません。なぜなら、帝国の中心地がローマから「東へ」移るより前の時代を重視しているからです。

また、別の要因として考えられるのが、日本の私たちが慣れ親しんだ歴史教科書の一部が、こうしたものの見方をベースにしているように読めることです。

 
このような事情もあって、ローマ帝国へのイメージは次のようなものになってきたと言えないでしょうか――すなわち、「最盛期の五賢帝時代が終わり、暗黒の“軍人皇帝時代”以降、“政治は不安定化”し、農民を土地に縛り付ける制度などで人々の“自由が奪われ”、“皇帝は自らを神聖化”して、“専制・強権的な政治を行い”、“国家は衰えて維持できなくなり東西への分割が決断され”、“本来のローマ帝国たる西ローマ”はゲルマン人によって“蹂躙され、滅ぼされた”」――というものです。

 
しかし、こうした見方をそろそろ卒業し、近年の学術的研究の成果を踏まえて、ローマ史全体への新たな見方を身につけるのも面白いのではないか――本書は五賢帝から百年後の三世紀末から六世紀半ばまで、新たな都としてのコンスタンティノープルがどう発展したかをたどることで、ローマ帝国の歴史について革新的な読み直しを迫ります。

 
具体的に明らかにされるのは、「軍人皇帝時代」より後の軍人出身の皇帝の統治が、史上まれにみる安定を見せていたこと、都市の住民たちは聖職者や教会を通じて、また公的な場所でのイベントに参加することによって皇帝への支持の如何すら表明しており、支持されない人間は帝位にすら就けなかったこと、首都となったコンスタンティノープルでは軍隊・教会・新興貴族・住民・独立派の聖職者など、諸勢力が入り乱れて政治的な闘争が活発に行われていたこと、皇帝はこれらの勢力との調整に苦心し、場合によっては都市に入ることすらできなかったこと、いわゆる“公会議”で教義に関連して行政的な問題が多く議論され、会議後もあまり収拾がつかなかったこと――などです。

 
こうして本書は、「この皇帝は何年にこれこれの業績を残した。次の皇帝は……」という記述方法を採らないまま、さまざまな政治的アクターと統治方針の変動を追うことで、社会のダイナミックな変容と、その時代に生きた人々のリアルな息遣いをスリリングに伝え、ローマ帝国への大多数の人々のイメージを覆すような世界を描き出すことに成功しています。

476年に滅亡したと言われるローマのその後の実相、また旧都ローマを衰えさせた真の原因についても知ることができます。

 
正統派にして学際的な視野を持つ気鋭の若手の初の著作でありながら、注記もなくスムーズに読める点、また年号や人名を限界までそぎ落とし、時代の全体像(骨格)を描き出すことで全体の分量を比較的コンパクトに抑えている点も本書の魅力です。

読者はこうした歴史記述の方法の清新さに驚かされるとともに、いま歴史を学ぶ意味は何かということを、根底から考えさせられる――ことになるかもしれません。

 
あえて結論めいたものをひとつ提示するとすれば、それは「ローマ帝国は、地中海東部世界に、儀礼にもとづく合意形成の場としての首都が形成されたことによって、強固になった」というものでしょう。

本書は、学校の授業や概説書でおおよそのイメージをもつ歴史ファンにも、およそ古代史や西洋史に興味を持ってこなかった人々にも楽しめる、期待の俊英による驚きの歴史教養書です。

 

本書の構成

はじめに 東から見るローマ帝国

第一章 コンスタンティノープル建都

第二章 元老院の拡大

第三章 移動する軍人皇帝の終焉

第四章 儀礼の舞台

第五章 合意形成の場としての都

第六章 都の歴史を奪って

おわりに 「ローマの栄光」のゆくえ

 

著者プロフィール

著者の田中創(たなか・はじめ)さんは、1979年東京生れ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学大学院総合文化研究科准教授。

専門は古代ローマ史。世界で初めて、ギリシャの弁論家リバニオスの『書簡集』を現代語に全訳した(1・2巻、京都大学学術出版会)。論文に「古代末期における公的教師の社会的役割」(『史学雑誌』第117巻2号)、「ローマ帝政後期のギリシア修辞学と法学・ラテン語教育」(『西洋史研究』第41号)、共著に『古代地中海の聖域と社会』(勉誠出版)、『古代地中海世界のダイナミズム――空間・ネットワーク・文化の交錯』(山川出版社)など。

 

ローマ史再考: なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか (NHKブックス 1265)
田中 創 (著)

西欧中心のローマ史観を根底からくつがえす

「ローマ史は五賢帝時代がピークで、あとは下降線」。世界史を学んだ人が抱くこんなイメージは、18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンが印象的に描き出したもので、日本にも広く知れ渡っている。しかしそろそろこうした「西ヨーロッパ中心主義」を解体する時期ではないか――期待の俊英が、ローマが2000年続いたのは東側に機能的な首都・コンスタンティノープルを作ったからだとし、勅令や教会史に現れる「儀礼を中心とした諸都市の連合体」としてのローマ帝国像を生き生きと描き出す。コンスタンティヌス帝やユスティニアヌス帝ら「専制君主」とされる皇帝たちは、本当は何に心を砕いていたのか? 最新研究を踏まえた驚きの古代史!

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です