恋愛感情なく、“交配”のため結婚したふたり――朝吹真理子さん芥川賞受賞第一作『TIMELESS』が文庫化
『きことわ』で芥川賞を受賞した作家の朝吹真理子さんによる、受賞第一作『TIMELESS』が文庫化され、新潮文庫より刊行されました。
互いへの恋愛感情をもたない、うみとアミ。“交配”の約束だけして結婚したふたりと、やがて生まれた息子アオを軸に描く物語です。文庫のための解説は、作家の江國香織さんが寄稿。〈朝吹真理子さんの小説は肌で読む〉と、その魅力を挙げました。
「いま」を生きる人びとの寄る辺となる、時間と記憶の蓄積
〈みながしているらしい恋を私はしたことがない。したい、とも思っていなかった。恋もセックスも、どっちでもいい。しなければいけないのなら、林檎農家の人工交配のように、花粉を綿球につけて、それをぽんぽんと雌蕊に塗布して、交配が成功すればいいのに。〉(『TIMELESS』より、以下同)
幼い日を共に過ごした貴子と永遠子の25年ぶりの再会を描いた『きことわ』で、芥川賞を受賞した作家・朝吹真理子さん。その受賞第一作である『TIMELESS』では、ひとを好きになれない「うみ」と、ある理由により好きなひとと子供をもうけることを恐れている「アミ」という、ふたりの物語を描きました。かつて高校の同級生だったふたりは大人になって再会後、互いへの恋愛感情がないことを確認しあい、結婚する。
〈好きなひとと子供をつくるのはこわいというアミに、それならば私と交配しようか、と誘った。アミは肯った。〉
〈私は、いとしい、と感じたことのあるひとがいない。それは誰のこともひとしなみにいとしい、ということでもあるのかもしれない。〉
夫婦になったふたりは、ぎこちなくも“交配”し、やがてうみが妊娠。すると、アミは失踪してしまう。それから父親不在のまま、生まれた息子のアオは17歳になった――。
第一部をうみ、第二部を息子のアオの視点で描く本作は、高校の教室、修学旅行の広島、桜が満開の奈良の庭先から、四百年前に徳川家光の母である江姫を弔った六本木の東京ミッドタウン付近、鰯売りの声が響く銀座カルティエまで、その場所に積み重ねられた時間と記憶の地層を、まさしく“タイムレス”に、現在と行き来しながら織り成されます。それは次第に、読者自身の記憶にも物語が浸透し「境」がなくなっていくような、心地よい読書体験です。
江國香織さんも解説で、朝吹作品は〈さまざまな境界線〉を〈曖昧に〉していくことや、〈肌で読む〉すなわち〈捕えた言葉が見えない霧のようになって、肌から入ってくるのをいつも感じる。霧化した小説を浴び、温度や湿度を伴ったそれをまるごと自分の身体にとりこむというのは官能的な、スリリングで愉悦に満ちたことだ〉と指摘しています。
自分が生まれるずっと前から連綿と続く、人びとの営みや記憶。物語を通し、その膨大な地層の上に在る「点」として今の自分も在るのだと認識することで、何か開き直れるような、あるいは支えられていると感じるような、心強さも得られるのではないでしょうか。
江國香織さん「解説」より
結婚して子をなすのがスタンダードだという暗黙の了解、結婚は恋愛に基づくのが望ましい(はずだ)という通念、それらに縛られずに生きられるのかというその問いは、家族とは何か、個人とは何か、生物とは何かという、より根元的な問いにつながっていく。
けれどこの小説のすばらしいところは、問いの大きさよりむしろ返答の小ささなのだ。
著者プロフィール
朝吹真理子(あさぶき・まりこ)さんは、1984(昭和59)年生まれ、東京都出身。2009(平成21)年「流跡」でデビュー。2010年、同作でドゥマゴ文学賞を最年少受賞。2011年「きことわ」で芥川賞を受賞した。
他の著書に、エッセイ集『抽斗のなかの海』、『だいちょうことばめぐり』(写真:花代さん)などがある。
TIMELESS (新潮文庫) 朝吹 真理子 (著) ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「いま」を生きる人びとの寄る辺となる、時間と記憶の蓄積。 【江國香織さんの解説収録!】 「繁殖しなければ生物はほろびるという事実や、結婚して子をなすのがスタンダードだという暗黙の了解、結婚は恋愛に基づくのが望ましい(はずだ)という通念、それらに縛られずに生きられるのかというその問いは、家族とは何か、個人とは何か、生物とは何かという、より根元的な問いにつながっていく。 うみは、ひとを好きになれない。アミは、好きなひとと子供をつくるのがこわい。 やがてうみが妊娠すると、アミは失踪してしまう。 高校の教室、修学旅行の広島、江姫を弔う六本木、鰯売りの声が響く銀座カルティエ、奈良の庭先の満開の桜。 |
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