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柚木麻子さん初エッセイ集『とりあえずお湯わかせ』が増刷&刊行記念講演「大丈夫じゃない時はお湯わかせ」を開催

柚木麻子さん著『とりあえずお湯わかせ』

柚木麻子さん著『とりあえずお湯わかせ』

2022年10月に刊行された小説家・柚木麻子さん初のエッセイ集『とりあえずお湯わかせ』(NHK出版)が売上好調につき、増刷、出来しました。

本書は柚木麻子さんによる、ごはんと育児とフェミニズムをめぐる、4年間の記録。NHKテキスト『きょうの料理ビギナーズ』とWebマガジン「NHK出版 本がひらく」で連載中のエッセイを一冊にまとめたものです。

なお、本書の刊行を記念した講演会「大丈夫じゃない時はお湯わかせ」が3月12日にNHK文化センター京都教室にてオンライン&リアル開催されます。

 

育児とごはんから、社会問題やフェミニズムについても縦横無尽に語りつくす『とりあえずお湯わかせ』

はじめての育児に奮闘し、新しい食べ物に出会い、友人を招いたり、出かけたり――。そんな日々はコロナによって一転、自粛生活に。閉じこもる中で徐々に気が付く、世の中の理不尽や分断。それぞれの立場でNOを言っていくことの大切さ、声を上げることで確実に変わっていく、世の中の空気。食と料理を通して、2018年から2022年の4年間を記録した、人気作家・柚木麻子さん初のエッセイ集です。各章終わりには書き下ろしエッセイも収載。

 
<増刷記念 1エピソード公開!>

「ご法度」

昨年末、医師の診断により、母乳で育てている子どものために、なんと私が卵と乳製品を完全に断たねばならなくなった。友達が、セカンドオピニオンを受けるべきだ、とアドバイスをくれ、ある病院を紹介してくれたが、年の瀬で電話がつながらない。ようやく年始に連絡がつくのだが、予約一ヶ月待ちは当たり前とのこと。

これは私が人生で一番辛かった、卵乳なしの年末年始の記録である。

友達の男性がヴィーガンなので、彼からガイドやヴィーガン向けスウィーツを教わったりしたが、食指が動かない。毎年クリスマスケーキが何よりも楽しみな私である。本当に悲しく、泣いてしまった。恒例の我が家のイブパーティー、私は医師の言葉を無視して、我慢できずに半切れほどケーキを食べてしまう。さらにクリスマス当日、ショートケーキをまるまる一切れ平らげてしまった。罪悪感と反省でかえってイライラが募り、大晦日に夫と大げんかしながら、おせちを作る。楽しみにしている伊達巻きは、ヴィーガン用レシピのかぼちゃとメープルシロップと山芋をすりつぶして、オーブンで焼いたものになった。どんな味がしたかというと、かぼちゃとメープルシロップと山芋の味である。年が明けて、夫と仲直りをするものの、ガレット・デ・ロワが食べられないことに気付き、再びふさぎこんだ。私の友達にはガレット・デ・ロワに入っている「あたり」の小さな陶器、フェーブのコレクターがいて、彼女は年始になると有名メーカーのものを何種類も買い集める。フェーブを抜き取った後のたくさんのガレット・デ・ロワは私たち仲間に振る舞われるのだ。今年はその会に出席することさえままならなかった。節分、卵焼き抜きには語れない恵方巻きも食べられなかった。友達の作家に窮状を訴えると「『BUTTER』の作者が乳製品をとれないなんて」と面白がられた。そんな名の小説を前年出したのである。毎朝の卵料理もなし、仕事中に飲むカフェラテもなし。

私の性格に変化が表れ始める。ひがみっぽく、うらみがましくなっていった。世の中には、 口にできないものばかりの人も多いだろう。地球のことを考え自ら特定の食材を絶っている人も増えているだろう。しかし、自分よりもっと苦労している人、もっと聡明な人を思い浮かべても、私の被害者意識は増すばかり。そもそも子にアレルギー反応があるのに、母乳を与えているというだけでなんで私が……。好きで母乳を出しているわけではない。街がバレンタインに華やいでも、チョコレートには乳化剤が入っているので、特設店を見るだけでぶっ壊してやろうかと思った。

先日、とうとう予約がまわってきて、子を連れてセカンドオピニオンを受けに行った。その結果、卵と乳製品を再開していい、というかそもそも断つ必要がなかったと診断された。嬉しいというよりも、もう手足が勝手に動いていた。私は診察室を飛び出すと、院内のコンビニでカツ丼弁当とロイヤルミルクティーを買い、イートインコーナーで座れそうな場所を探した。お昼時でほとんどの席が埋まっていたので、一人で座っている外国人女性のテーブルに「相席いいですか」と言いながら向かいにどかっと腰を下ろし、割り箸を割るとむさぼった。ふんわりした卵が、甘辛い汁をたっぷり吸った柔らかな衣を包んでいる。少し硬い白いご飯と一緒に食べると、寛容な味わいに涙が出そうになった。久しぶりのロイヤルミルクティーはクリームのように濃く、取り合わせがあまりよくないことも気にならない。興奮してがつがつ食べていたら、カツを一切れ、落としてしまった。拾い上げてティッシュで包みながら、惜しい気持ちでいっぱいになった。誰か見ていなければ口に入れていたと思う。ちらりと向かいの席を見ると、先ほどの女性が、面白そうに私を見ている。さすがに恥ずかしくなっていった。「どうぞ、ごゆっくり」と彼女は流暢な日本語で言い、席を立った。後ろ姿を見送りながら、気付いた。彼女はヒジャブを身につけている。ということはイスラム教徒かもしれない。豚肉はおそらくは禁忌だ。空になった容器と一切れのトンカツを捨てながら、口にできない食材を持つ人々の生活に思いを馳せ、二ヶ月ぶりにやっとまだ見ぬ世界を配慮するゆとりが戻ってきたのを感じていた。

*コロナ禍の今読むと、落としたトンカツを食べようとした自分の衛生感覚にびっくりする。

――「1 うちにおいでよ 2018年1月~12月」より

 

エッセイ刊行記念講演「大丈夫じゃない時はお湯わかせ」開催決定!

3月12日にNHK文化センター京都教室で、柚木麻子さんの講演が開催決定しました。

コロナ禍での気持ちの変化や、作品の重要なキーワードとなっている「食」に対する思い、落ち込んだり挫けそうになった時に、自分なりの方法で人生をサバイブしていく柚木さんなりの方法などについて語ります。

★詳細&申込み
◎教室受講:https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1263878.html
◎オンライン受講:https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1265130.html
 

著者プロフィール

著者の柚木麻子(ゆずき・あさこ)さんは、小説家。1981年生まれ、東京都出身。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。

ほかの作品に『私にふさわしいホテル』『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんAtoE』『本屋さんのダイアナ』『マジカルグランマ』『BUTTER』『らんたん』『ついでにジェントルメン』などがある。

 

とりあえずお湯わかせ
柚木 麻子 (著)

このエッセイもまた、公開の日記帳だ。前向きで後ろ向きで、頑張り屋で怠け者で、かしこく浅はか、独特な人物の日々の記録だ(前書きより)――はじめての育児に奮闘し、新しい食べ物に出会い、友人を招いたり、出かけたり――。そんな日々はコロナによって一転、自粛生活に。閉じこもる中で徐々に気が付く、世の中の理不尽や分断。それぞれの立場でNOを言っていくことの大切さ、声を上げることで確実に変わっていく、世の中の空気。食と料理を通して、2018年から2022年の4年間を記録した、人気作家・柚木麻子のエッセイ集。各章終わりには書下ろしエッセイも収載。

 
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