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寄稿すればバズる20代論客・ヒオカ (HIOKA)さん初エッセイ『死にそうだけど生きてます』が刊行

ヒオカ (HIOKA)さん著『死にそうだけど生きてます』(CCCメディアハウス)

ヒオカ (HIOKA)さん著『死にそうだけど生きてます』(CCCメディアハウス)

<無いものにされる痛みに想像力を>をモットーに執筆活動を行うノンフィクションライター・ヒオカ (HIOKA)さんの初のエッセイ『死にそうだけど生きてます』がCCCメディアハウスより刊行されました。

 

壮絶人生から見る社会――寄稿すればバズる20代論客、初のエッセイ

ヒオカさんは、2020年にnoteで公開した自身の体験「私が“普通”と違った50のこと――貧困とは、選択肢が持てないということ」が話題を呼び、ライターの道へ入りました。塾も習いごともあきらめて、独学で国公立大学に進学したヒオカさんは、「それでもまだ、スタート地点に立てたわけではなかった」と言います。

 
本書では、ヒオカさんが、自らの生い立ちを踏まえて、現代社会をより生きやすくするために私たちはどうあるべきかに考えを巡らしました。誰もが持つ「強者性」と「弱者性」を自覚すれば、他者への視点も変わるのではないか――という願いを込めた一冊です。なお、装画・挿画は、モデル・イラストレーターとして活躍中のろるらりさんが手掛けています。

 
<本書の概要>

隣で楽しそうに笑っている子、じつは困っているのに、言えないだけかもしれない――家賃を払い、学費を払い、病気になれば治療費を払う。安心できる居場所がある。そんな当たり前の日常を送る者の視界からは、こぼれ落ちる人たちがいる。

しかし、そうした存在は意外と目に付かない。生まれながらに持たざる者は、「高校の制服が買えない」「部活に入れない」「電子辞書やノートPCを持てない」「医療費が不安で自主退院」など、経験が限定され、将来の選択肢を失いがちだ。

貧困は自己責任なのか?  みなが自分の「強者性」を自覚して、今より5ミリずつ思いやりの手を伸ばす。その総和が社会を優しく、生きやすくするのではないか?

 

本書の構成

Part 1 今までのこと ――どこにも居場所がなかった
Story 1 季節はずれの雪が降っている
Story 2 この世界に居場所がない
Story 3 お古の制服、私だけ不格好で
Story 4 大学生になってもスタートはまだ遠くて
Story 5 たったいちどの晴れの日のこと
Story 6 全力で今を楽しむということ
Story 7 生きるんだよ。なんて少し大げさ
Story 8 おらんんくなったらなったで寂しいし
Story 9 私が“普通”と違った50のこと

Part 2 その後のこと ――居場所で考えた14の断片
1 文化的:心に「余白」をくれるもの
2 好き:人は変わることができる
3 ジェラート ピケ:先入観との決別
4 生きる力:いつか恩を返したい
5 自己責任:想像する努力を手放さない
6 不可視化:スタートラインに立てない
7 怒り:敵は個人ではなく政治
8 アリとキリギリス:生産性と人の価値
9 教育の平等:学びは一生のもの
10 エモ文体:躍らされず賢くなる
11 分断:支援されるべきでない人などいない
12 文化資本格差と貧困税:ないのはお金だけではない
13 想像力:自分に置き換えてみることの限界
14 強者性:優しくなるために自覚すべきこと

おわりに ――死にそうでなく生きていきたい

 

著者プロフィール

著者のヒオカ(HIOKA)さんは、ライター。1995年生まれ。地方の貧困家庭で育つ。noteで公開した自身の体験「私が“普通”と違った50のこと――貧困とは、選択肢が持てないということ」が話題を呼び、ライターの道へ。

“無いものにされる痛みに想像力を”をモットーに、弱者の声を可視化する取材・執筆活動を行い、「ダイヤモンド・オンライン」(ダイヤモンド社)、「現代ビジネス」(講談社)などに寄稿。若手論客として、新聞、テレビ、ラジオにも出演。連載に『貧しても鈍さない 貧しても利する』(「婦人公論.jp」中央公論新社)、『足元はいつもぬかるんでいる』(「mi-mollet」講談社)がある。

 

死にそうだけど生きてますヒオカ (著)

個人の壮絶人生から社会が見えてくる。制服が買えない。参考書を買うお金がない。そんな超貧困家庭から独学で大学へ。しかし、大学に入学したからといってスタート地点に立てたわけではなかった。貧困の問題とは、お金がないだけではなく、経験が限定されること。
ーー本書は、注目の20代論客による初の書き下ろしエッセイ。

 
“まだ子どもだった頃、私にとって育った村は逃げられない檻だった。絶え間のない暴力と、際限のない貧困を閉じ込める檻”

隣で楽しそうに笑っている子、じつは困っているのに、言えないだけかもしれない――家賃を払い、学費を払い、病気になれば治療費を払う。安心できる居場所がある。そんな当たり前の日常を送る者の視界からは、こぼれ落ちる人たちがいます。しかし、そうした存在は意外と目に付きません。生まれながらに持たざる者は、経験が限定され、将来の選択肢を失いがちです。たとえば、

◎高校の制服が買えない
◎お金がかかるから部活に入れない
◎中古1円の参考書で受験勉強
◎大学ではひとり、紙の辞書
◎レポートを書くPCが買えない
◎夏の底辺シェアハウスはベランダで寝る
◎友人からのプレゼントにプレッシャーを感じる
◎医療費が不安で自主退院
◎コロナ禍でも外で働かざるを得ない etc.

 
あの子はほんとに、なまけもの? 貧困は自己責任なのか?
塾も習いごともあきらめて、独学で国公立大学に進学した著者は言います。「それでもまだ、スタート地点に立てたわけではなかった」と。みなが自分の“強者性”を自覚する。そして、今より5ミリずつ思いやりの手を伸ばす。その総和が社会を優しく、生きやすくするのではないか?

 


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