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発売前重版!小説家・辻仁成さんエッセイ集『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』が刊行

辻仁成さん著『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』

辻仁成さん著『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』

パリ在住の小説家・辻仁成さんのエッセイ集『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』がマガジンハウスより6月30日に刊行されました。発売前から反響が大きく、予約注文殺到につき発売前重版が決定しています。

 

「ぼくは父であり、母であった。」――これは、ともに生きた愛情の記録

本書は、10歳だった息子が18歳になってフランスの大学に合格するまでのシングルファザーの悲喜こもごもから成ります。著者が主宰するWebサイトマガジン「Design Stories」のコラムを抜粋・再構成して書籍化したもので、イラストレーションは、装画を含め全てを著者自身が手がけています。

 
<まえがきより>

1月某日、シングルファザーになった時の絶望感はいまだ忘れられない。あの日から息子は心を閉ざし、感情をあまり見せない子になった。なんとかしなきゃ、と必死になり、どうやったら昔みたいに笑顔に包まれた日々を戻すことができるだろうと考えた。
ある夜、子供部屋を見回りに行ったら、寝ている息子が抱きしめているぬいぐるみのチャチャが濡れていた。びしょびしょだったのだ。ええ? びっくりして、息子の目元を触ってみると濡れていた。ぼくの前では絶対に泣かなかったのに。
その時、本当に申し訳なく思った。自分が母親の役目もしなきゃ、と思ったのもその瞬間だった。
ぼくも息子もあまり食べなくなっていた。大きな冷たい家だったので、これはいけないと思い、小さなアパルトマンに引っ越し、ぴったり寄り添ってあげるようになる。

 
<2018 息子14歳>

クリスマス・イヴに父子は子供部屋のベッドの上でEnglishman in New Yorkをセッション した。子供部屋の窓の外に隣の建物の窓が見える。ささやかな植物が飾られてある。淡いクリスマスの光がそこに降り注いでいる。幸せというものは欲ばらない時にすっとやってきて寄り添うこういう優しい光のようなものじゃないか、と思った。
14歳になった息子と一緒に音楽を演奏できること以上の幸福はない。
日々はそれなりに辛い人生の連続だが、時々、神様はこうやってギフトをくれる。人生の80パーセントは大変、18パーセントくらいはまあまあなんだと思う。残り2パーセントをぼくは幸せと呼んでいる。最高より、まあまあ、がいい。
毎日、まあまあ、欲ばらずのんびり生きていたい。それがぼくにとっての幸せなのだ。

 
<2019 息子15歳>

夕飯の時間になったので、せっかく遠出もしているし、施設内のレストランに入り向かい合った。ガールフレンドのことや、学校のこと、友だちについて、将来のこと、趣味の音楽についてぼくらはいつも以上に話し合った。すると息子が突然、ぼくの仕事を批判し始めた。「パパの音楽ってさ」こういう言い方をする時はだいたい批判の始まりである。
「何かユニバースが足りないんだよ。もっとパパにしか作ることのできないユニバースを出した方がいい。日本の音楽って、全部どれも同じに聞こえる。ロックも歌謡曲もポップスもラップでさえ境目がないというのか、テレビの影響が強すぎて、同じ、綺麗事で終わってる。そういうものの中にパパがいて偉そうにしているのはよくない。まだ若いし、チャンスあるし、冒険をしないとダメだよ。せっかくパリにいるのに、何してるの?」
ぼくは一瞬、頭に来たけど、その通りだと思ったので、がんばるよ、とだけ言っておいた。「お前もそれだけのことを言うからにはものすごいユニバース出せよ」と言った。
息子は「人のやらないものを作ることの方が真似するより楽しいことを僕は知っている」と言った。ぼくは笑い出した。誰に似たのだろう、と思った。
すると、息子が「僕はパパに似てきたね」と呟いた。

 
<2020 息子16歳>

3月某日、息子は低血圧なのだ。朝はほぼ返事がかえってこない。もちろん、いいやつなので、心の中では「おはよう」と言っているに違いないのだけれど……。夕飯時も平日は返事が即座に戻ってくることはない。ご飯を食べている時に、今日はどうだった、と訊くと、うん、と戻ってくるだけ。でも、別に反抗期だからとかそういうことじゃない。単に、疲れているのだろうし、そもそも今話し合わないとならないことがないだけかもしれない。だから、ぼくもそれ以上、訊き返すことをしない。食べ終わると息子は「ごちそうさま」と言って自分の食器を片付け、部屋にこもる。16歳という年齢から考えると普通の行動だ。
ところがウイークエンドになると一変する。学校がないから、心の余裕が出るのかもしれない。平日より饒舌になっている。なので、親子の交流は土曜日のランチというのがいつの頃からか辻家の決まり事となった。息子が話しやすい環境を作るため、ぼくは彼の好物の餃子を作ることにした。ということで今日のランチは餃子ライスである。餃子がなくなるまで話ができるよう、ぼくは餃子を百個拵(こしら)えることになる。

 
<2021 息子17歳>

このあいだ、実は息子とは2時間くらいぶつかり合った。大きな声で言い合ったのだ。殴ったりはしなかったけど、ぼくが息子の鼻先に指を突きつけた時、それを払うように息子がぼくの手をものすごく強く?んだ。それは生まれてはじめての経験だった。
大人に成長したのだ。はっきりとした意思をぶつけられたので、ぼくはうろたえ、泣いた。それで、ふと思い出した。もしかしたら今年は、13回忌じゃなかったか、と思ったからだ。父さんが他界してちょうどそのくらいの年月が流れている。
ぼくは去年、コロナで東京に短い期間しか戻ることができなかった。福岡には行けなかっ た。今年も戻ってないので、墓参りも何もできていない。この10年、毎年、大川の父さんの墓に手を合わせにいくのはできの悪い息子のぼくじゃなく、ぼくの息子だった。あの子はお爺ちゃんに可愛がられていた。だから、息子もお爺ちゃんになついていた。なので、墓を洗いによく出かけていた。フランスから日本に行く理由の一つが、祖父の墓参りだった。
明け方気がついた。そうか、父さんは、ぼくの息子が心配でぼくの夢に出続けているのじゃないか。進路で苦しんでいる息子、一人フランスに生まれ、そこで苦しんで生きている息子を心配して、ぼくの前に現れたと考えるのが自然だった。
父さんの血をぼくは受け継ぎ、ぼくの血を息子が受け継いでいる。その三人がどういう人生を生きたのか、生きていくのかわからないけど、魂のつながりというのはあるのだろう。なんで、今頃、父親のことをこんなに思い出すのか、わからないけれど、ぼくの気づかないところで父さんはぼくを育てることにいろいろと苦心をしていたのじゃないかと思った。まず、感謝である。そして、その気持ちを新たにして、息子を育てないとならない、と思った。
ぼくは窓辺に立ち、日本の方角を見て、手を合わせた。
「息子を助けてやってください。彼を守ってやってください。お願いします」と祈った。

 
<2022 息子18歳>

18歳の誕生日を迎えた息子へ贈る言葉
1月某日、朝早く目が覚め、息子が起きてくるのを待った。待ちながら、ベッドに腰かけ、今日までの長い年月のことを考えた。いろいろとあったけど、不思議なことだが、嫌なことは思い出せない。息子と一緒に生きてきた日々が脳裏を過っていく。
二人で生きるようになった頃のあの子はもちろん、精神的にはきつかったとは思うけど、むしろ、ぼくを支えようとよく気を使ってくれたし、がんばってくれた。いろいろと子供の頃から持論を展開する賢い子ではあったけど、小学生の頃、中学1、2年生の頃は絵に描いたように純朴な少年だった。
でも、母親のことを二人で掘り下げることはなかった。なんでだろう、と思うけど、今日まで、そうだったのだから、仕方ない。たぶん、離婚直後に、その話題を彼に向けてぼくから言ったら、遮られ、「僕だってがんばってるんだから、その話はしないでよ」と怒られたことがあった。それから今まで、いいことなのか、どうなのかわからないけど、きちんと話にのぼったことがないのだ。
彼が何を考えているのかは、父親のぼくにもわからない。
ただ、そうやって歳月が流れた。(中略)
息子が寝室の開いた扉を振り返り、ベッドに座って待っていた父親を見つけ、「ありがとう」
と最近では一番大きな声で返事をしてから、登校した。
閉まったドアをぼくはじっと見つめた。小学生いっぱいまで、子供の学校への送り迎えは親の義務だった。ぼくは息子の手を引いて、学校まで送り届けた。彼は「行ってらっしゃい」と言うぼくに「うん」と告げると、飛び込むように学校へ走って入って行った。 ずっとだ。そして、彼は一度もぼくを振り返ったことがなかった。

そこにはこの国で生きていくんだ、という強い決意があった。
その子が今日、18歳になった。
彼の決意は今も揺るぎない。
十斗(じゅうと)、お誕生日、おめでとう。

 

著者プロフィール

著者の辻仁成(つじ・ひとなり)さんは、東京出身。1989年「ピアニシモ」で第13回すばる文学賞、1997年「海峡の光」で第116回芥川賞を受賞。1999年『白仏』の仏語版「Le Bouddha blanc」でフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を日本人としてはじめて受賞。

『十年後の恋』『真夜中の子供』『なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない』『父 Mon Pere』他、著書多数。近刊に『父ちゃんの料理教室』『ちょっと方向を変えてみる 七転び八起きのぼくから154のエール』『パリの”食べる”スープ 一皿で幸せになれる!』がある。パリ在住。

 

パリの空の下で、息子とぼくの3000日
辻仁成 (著)

幸せというものは、欲ばらない時にすっとやってきて
寄り添う優しい光のようなものじゃないか。

ぼくが離婚をしたのは息子が10歳になったばかりの年だった。
本書は14歳の頃からスタートするが、回想するように、息子が10歳だった当時に遡ることもある。
小学生が大学生になるまでの間の父子の心の旅の記録である。

ぼくは父であり、母であった。
シングルファザーになったあの日から

 


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