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【第66回産経児童出版文化賞】豊田直巳さん『それでも「ふるさと」』全3巻が大賞を受賞

【第66回産経児童出版文化賞】豊田直巳さん『それでも「ふるさと」』全3巻が大賞を受賞

【第66回産経児童出版文化賞】豊田直巳さん『それでも「ふるさと」』全3巻が大賞を受賞

産経新聞社は5月5日、第66回産経児童出版文化賞の受賞作を発表しました。

 

4400超の児童書の中から受賞作8点が決定!

第66回産経児童出版文化賞は、昨年1年間に刊行された児童向けの新刊書4,432点を対象に審査が行われ、その中から受賞作8点が次の通り決定しました。

 
■大賞:『それでも「ふるさと」』全3巻(写真・文:豊田直巳さん/(農文協)

 
■JR賞:『しあわせの牛乳』(著:佐藤慧さん、写真:安田菜津紀さん/ポプラ社)

■美術賞:『バッタロボットのぼうけん』(まつおかたつひでさん/ポプラ社)

■産経新聞社賞:『ひだまり』(文:林木林さん、絵:岡田千晶さん/光村教育図書)

■フジテレビ賞:『たまねぎとはちみつ』(瀧羽麻子さん/偕成社)

■ニッポン放送賞:『空の探検記』(写真・文:武田康男さん/岩崎書店)

■翻訳作品賞
◎『ショッキングピンク・ショック!』(文:キョウ・マクレアさん、絵:ジュリー・モースタッドさん、訳:八木恭子さん/フレーベル館)
◎『カタカタカタ おばあちゃんのたからもの』(作:リン・シャオペイさん、訳:宝迫典子さん/ほるぷ出版)

 
大賞を受賞した『それでも「ふるさと」』全3巻は、東日本大震災の福島第1原発事故で一時全村避難となった福島県飯舘村に震災直後から現地入りし、その後も同村に通い続けている豊田直巳さんが、避難指示解除までの約6年を記録した写真絵本の3部作です。

豊田さんは大賞受賞について、「受賞は思ってもいなかったので、ありがたいことです。カメラの前に立ってくれた人への恩返しになれば」とコメントしています。

 

産経児童出版文化賞について

産経児童出版文化賞は、学校図書法の施行にあわせて1954年に、「次の世代を担う子どもたちに良い本を」の趣旨で産経新聞社が創設した文学賞です。

前年の1月1日から12月31日までの1年間に日本国内で出版された、すべての児童書籍を対象に審査を行い、毎年5月5日の「こどもの日」に受賞作が発表されます。

産経新聞社が主催。フジテレビジョン、ニッポン放送が後援。JR7社(JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、JR貨物)が協賛。

 

「牛が消えた村」で種をまく: 「までい」な村の仲間とともに (それでも「ふるさと」)
豊田直巳 写真・文 (写真)

「日本一、美しい村」とよばれた村が、福島県の北東部、阿武隈山地にありました。その村「飯舘」は「までい」な村とよばれます。「までい」とは、この地方のことばで、「手間ひまかけて」「ていねいに」「心をこめて」といった意味があります。この村の美しさは、村の人たちが、「までい」に田畑をたがやし、牛を飼い、村づくりを続けてきたたまものでした。乳牛50頭を飼う長谷川健一さんも、酪農家の仕事のかたわら地域の区長として、「美しい村」づくりを率先してきました。その村に突然、放射性物質が降り注ぎました。そして、村には全村避難の指示が出され、「美しい村」は、「だれも住まない村」「牛が消えた村」になってしまったのです。それでも、長谷川さんは「美しい村」が、家族や仲間とともに暮らした家や集落が、荒れ果てていくのを、ただ見ていることはできませんでした。そこで、ふたたび、仲間とともに草を刈り、畑をたがやし、種をまきはじめます。

「負けてられねぇ」と今日も畑に: 家族とともに土と生きる (それでも「ふるさと」)
豊田直巳 写真・文 (写真)

きのうまで、家族いっしょに暮らし、あそび、学び、働いていた「ふるさと」を、突然、放射能によって追われたら。生まれ故郷の山や川や田畑が、家や村や町が、そこにあるのに、二度と帰れないとしたら。家族の思い出の場までも、奪われたとしたら。そして、それが、わたしたちの暮らしと深くかかわる原発がもたらしたものだったら。わたしたちは、何を思うでしょう。放射能が消えるまでの100年も、200年も待つのでしょうか。「までい」な村「飯舘」に密着した、7年にわたる家族や村の物語は、わたしたちと深くつながっています。

「孫たちは帰らない」けれど: 失われた「ふるさと」を求めて (それでも「ふるさと」)
豊田直巳 写真・文 (写真)

自然の恵みゆたかな、福島県北東部の高原の村―飯舘村から車で1時間ほど山を下った伊達市にある仮設住宅に、おばあちゃんたちは暮らしています。放射能にふるさとの村を追われたのです。村では広い敷地に何世代も住んでいましたが、ここは村の1軒分ほどの敷地に、約100軒もの仮設住宅が建ち並んでいます。長屋形式で、板で仕切っただけの部屋では、「テレビの音がうるさい」といった不満も…。でも、仮設住宅の暮らしに慣れるにつれて、近所付き合いも生まれ、友だちもでき、ここは「第二のふるさと」になってきました。その一方で、春の山菜や秋のキノコ、一年中、いのちをつないでくれた味噌など、自然の恵みに生かされた村、「帰りたい村」への思いもつのります。そして、避難から6年、避難指示は解除され、仮設住宅から出ていく日が近づいています。おばあちゃんたちは、いま、「二つのふるさと」の間でゆれています。

 
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