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『歴史群像』10月号 小早川秀秋は開戦後すぐに裏切った? 関ヶ原合戦の名場面や逸話の多くは後世に創作されたものだった!

『歴史群像』10月号 小早川秀秋は開戦後すぐに裏切った? 関ヶ原合戦の名場面や逸話の多くは後世に創作されたものだった!

『歴史群像』10月号 小早川秀秋は開戦後すぐに裏切った? 関ヶ原合戦の名場面や逸話の多くは後世に創作されたものだった!

学研プラスより9月6日、『歴史群像』10月号が発行されました。第1特集は、「通説打破!関ヶ原合戦の真実~“天下分け目の戦い”はこう推移した」です。

 

一般に流布している関ヶ原合戦のイメージは本当か?

▲関ヶ原古戦場に立つ「決戦地」の碑。

▲関ヶ原古戦場に立つ「決戦地」の碑。

慶長5年(1600年)9月15日、周囲を山に囲まれた関ヶ原。その西側には、笹尾山の石田三成以下、島津義弘、小西行長、宇喜多秀家、大谷吉継ら西軍の諸将が鶴翼の陣で待ち構える。その南の松尾山には同じく西軍の小早川秀秋が、さらにその東の南宮山には毛利秀元が陣を敷いている。それに対峙する東軍は、北側の右翼に黒田長政、加藤嘉明、細川忠興らが、南側の左翼には福島正則、藤堂高虎らの諸将が布陣、その後方に徳川家康率いる軍勢が控えている。

戦いはこの日の早朝、井伊直政隊の抜け駆けによって始まった。その後、正午ごろまで一進一退の攻防き、勝敗はなかなか見えない。その時、苛立った家康が、旗色をはっきりさせない松尾山の小早川秀秋の陣に鉄砲を撃つよう配下の者に命じた。じつは小早川秀秋は家康に内応していたが、どちらが優勢ともいえぬ戦況を前に逡巡を続け、いまだ松尾山から動かずにいたのだ。

徳川軍の鉄砲が小早川の陣に撃ちこまれた。小早川秀秋はここでついに裏切りを決断、一気に松尾山を駆けおり、麓に布陣する同じ西軍の大谷吉継の陣を攻撃、形勢は一気に東軍有利に傾き、西軍は潰走、“天下分け目の戦い”は東軍の大勝に終わった……。

 

関ヶ原合戦の名場面やエピソードの多くが後世の「創作」だった!

これまで関ヶ原合戦をテーマに数多くの本が出され、映画やドラマがつくられてきましたが、そのほとんどが、上記のストーリーをもとに描かれています。多くの人が抱いている関ヶ原合戦のイメージも、ほぼこのようなものではないでしょうか。

しかし、この内容の多くが史実かどうか疑わしいものだと言ったら、どう思われるでしょうか。じつは、関ヶ原合戦の名場面や逸話の多くは、後世の江戸時代の軍記物などをもとにしたものであり、同時代の史料(一次史料)では確認できないものが多いのです。

また、両軍の布陣についても、そのもとになっているのは、明治時代になってから陸軍参謀本部が編纂・刊行した『日本戦史・関原役』所収の「関原本戦之図(せきがはらほんせんのず)」という地図ですが、これも一次史料に依拠しておらず、参謀本部が創作したものと見られています。

▲「関原本戦之図」を基にした通説の布陣図(「歴史群像」10月号より)。

▲「関原本戦之図」を基にした通説の布陣図(「歴史群像」10月号より)。

 

では、関ヶ原合戦とはどんな戦いだったのか?

通説が否定されつつあるとすれば、関ヶ原合戦は、実際はどういう戦いだったのか。『歴史群像』10月号の第1特集、「通説打破!関ヶ原合戦の真実~“天下分け目の戦い”はこう推移した」は、まさにこのことをテーマとした特集です。

特集の筆者は、関ヶ原合戦の通説を覆し続けている気鋭の研究者・別府大学教授の白峰旬さん。記事では、近年の白峰さんの研究のエッセンスをもとに、後世に創作されたと思われる話を排除し、同時代史料をもとに関ヶ原合戦を再現した場合、関ヶ原合戦とはどのような戦いだったのか、どのように推移したのかが論じられています。

これにより、映画や小説とはまったく異なる合戦像が浮きぼりになりました。

そもそも小早川秀秋は合戦当日の朝、ほんとうに松尾山にいたのか?
石田三成が合戦の前日に大垣城から移動したほんとうの理由はなにか?
両軍はほんとうに一進一退の攻防をしていたのか?

……まるで歴史の謎を解いていくミステリーのように知的好奇心が刺激され、あなたが抱いている関ヶ原合戦像は完全に変わることでしょう。

 

歴史群像 2017年 10 月号 [雑誌]
■ 第一特集
通説打破! “天下分け目の戦い”はこう推移した
関ヶ原合戦の真実

これまでの通説や様々な名場面はその多くが後世の創作だった!
一次史料から浮かび上がる全く新しい天下分け目の戦い。

■ 第二特集
連合艦隊主力に遭遇した「ジープ空母」の奮闘
死闘! サマール沖海戦

たび重なるアメリカ艦上機の空襲をくぐり抜け、レイテ湾に向かう栗田艦隊。
それを迎え撃つアメリカ軍内部の意思疎通の齟齬が非力な護衛空母部隊を窮地に陥れた。
小さなジープ空母たちの、命をかけた戦いが今、始まる。

■ 第三特集
ビザンツvs.オスマン! “千年の都”をめぐる新旧帝国の決戦
戦史ドキュメント コンスタンティノープル攻防戦

1453年5月、日本では室町幕府、8代将軍足利義政の時代。
ヨーロッパとアジア、地中海と黒海を結ぶ地に歴史を刻んだ大ローマ帝国末裔の都が、滅亡の時を迎えようとしていた。

■ カラー企画
【歴群誌上プレビュー】『ダンケルク』
フランスの海岸に追いつめられた40万人の英仏軍を救え!
史上最大の救出作戦「ダンケルクの奇跡」を描いたノーラン監督の最新作!

CG彩色でよみがえる!
常に最前線兵士を支えた頼もしきパートナー
第二次大戦のイギリス軍火砲

■ 検証/ドキュメント
美しき戦利品をめぐる各国の思惑と知略
第二次大戦 美術品争奪戦

イギリス海軍の対日戦略 1919~1942
◎幻の「シンガポール沖決戦」

現代の“巨人殺し”兵器
対艦ミサイル発達史

日本陸軍の作戦立案の限界を示した“鉄壁の城”への攻勢
◎日中戦争 長沙作戦

■ カラー連載
【銘艦HISTORIA】日本海軍と矛を交えた北洋水師の「二匹の龍」
カサブランカ級 護衛空母

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