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『車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。』車いすバスケ・東京パラリンピック銀メダリストの古澤拓也さんがその半生を綴った初のエッセイ本

古澤拓也さん著『車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。』

古澤拓也さん著『車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。』

車いすバスケ日本代表・古澤拓也さんが、26年間の葛藤と挑戦の歩みをまとめた初の単行本『車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。』が小学館より刊行されました。

 

本書「はじめに」より

僕たち車いすユーザーは、世間の人たちからはどんなふうに思われているだろうか。
かわいそうだな。
大変だろうな。
そんな感じかもしれない。
実は僕自身、“車いすユーザー”になることを、必死で拒み続けた過去があった──。(中略)

 
車いす生活になって、できなくなったことはたくさんあった。
ただ、今振り返ってみると、僕の26年間の人生は決して、かわいそうではなかったし、車いすユーザーになったからこそ味わえたこともあった。(中略)

 
いつ、どんなふうに車いすユーザーである自分を受け入れたのか。
もともとはネガティブに考えがちな僕が、どれだけの人に支えられて、なぜ挑戦しようと思えたのか。
一人の車いすユーザーの26年間の軌跡に触れていただき、何かを感じとってもらえたら……。そんな思いを込めて綴った一冊です。

(c)パラ神奈川SC

(c)パラ神奈川SC

 

「車いす、かっこいいな!」で第一歩を踏み出せた

古澤拓也さんは、生まれつき「二分脊椎」という先天性疾患がありました。
小学5年生までは毎日、自分の足で歩いて学校に通っていましたが、少しずつ歩くのが困難に……。

「生まれた時から、歩けなくなることはわかっていた」(古澤さん)

 
小学6年生で手術を受け、車いすユーザーになった古澤さんの不安をかき消してくれたのは、車いすでの初登校の日、担任の先生からかけられた「車いす、かっこいいな!」の一言でした。

 
それでも、すぐに車いすユーザーになった自分を受け入れられたわけではありません。

 
「甲子園に行く」という夢は、「かなえるどころか、目指すことさえも許されなかった」
「小学生の時は、運動会で1位になってヒーローになりかったし、中学生や高校生の時は放課後に友だちが女の子と自転車で“ニケツ”して帰っているのを見ていると、すごく羨ましいと思った。
そんな“普通”のことをやってみたいと思ったことは、いくらだってあった」

特に、手術後、体を動かすことを禁じられた1年間は「地獄」のようだった……。

(c)パラ神奈川SC

(c)パラ神奈川SC

 

車いすスポーツ、ライバルと出会い、負けず嫌いに火がついた

12歳で車いすバスケに出合い、熱中。着実に実力を伸ばし、高校2年生にしてU23日本代表デビューを果たした古澤さん。

しかし、2014年のリオデジャネイロパラリンピックに向けた代表候補の合宿で、2歳年下のライバル・鳥海連志選手が強化指定選手に選ばれます。
2015年、鳥海選手は唯一の現役高校生プレーヤーとして脚光を浴び、鮮烈な代表デビュー。

 
「オレだって!」

「口では『東京パラリンピックを目指しています』なんて言っていたけれど、まだまだ本気でやっていなかったのだ。その程度で強化指定選手に選ばれるほど、車いすバスケットボールの世界は甘くはなかった」

「負けたくない」

 
クラブチームの練習以外に、自分で体育館を借り、週6でバスケの技術を磨き、スピード、パワー、スタミナすべてのレベルアップを目指し、1年をかけてトレーニングを続けます。

 
「他人と同じである必要はない」
今や古澤さんの持ち味となっている3ポイントシュートは、古澤さんがプレーに取り入れ始めた当時は、日本国内で実践している同じクラスの選手はいませんでした。

「日本では誰もやっていないんだったら、僕なりのプレースタイルを極めていこう」

 
当時の日本代表ヘッドコーチからは、「拓也、だいぶ変わったな」と声をかけられました。

 
自分らしい生き方に挑戦し続けて到達した東京2020パラリンピック。
準決勝、メダルを決める大事な一戦で放った3ポイントシュート。日本列島を湧かせたアメリカとの決勝戦……。
激闘のコートの中で研ぎ澄まされていく古澤さんのリアルな思考は、本書の最大の見どころです。

(c)越智貴雄/カンパラプレス

(c)越智貴雄/カンパラプレス

 

本書の構成

第1章 車いす、かっこいいな!

第2章 この子は、宝石を抱えて生まれてきた

第3章 一番モテるのは、足が速い子?

第4章 地獄のような1年間

第5章 君なら世界に羽ばたける!

第6章 時計の針が、再び動き始めた

第7章 オマエ、悔しくないのか?

第8章 大学を辞める? 競技をやめる?

第9章 東京パラリンピックへの道

最終章 最高にかっこいい人生

 

著者プロフィール

(c)Kazuma Hata/amana inc.

(c)Kazuma Hata/amana inc.

著者の古澤拓也(ふるさわ・たくや)さんは、1996年5月8日生まれ。神奈川県横浜市出身。車いすバスケットボール選手。WOWOW所属。

先天性疾患(二分脊椎症)とその合併症の影響で、小学6年から車いすでの生活となる。13歳の時に車いすバスケットボールを始め、高校2年でU23日本代表デビュー。2017年のU23世界選手権では、キャプテンとして日本のベスト4進出に貢献、自身もオールスター5に選出される。日本代表として出場した東京2020パラリンピックで銀メダル獲得。選手としての活動のかたわら、講演会や競技の普及活動にも努め、日本各地を回り、メディア取材を積極的に受けている。好きなものは抹茶、コーヒー。

★Instagram:https://www.instagram.com/takuyafurusawa7
★Twitter:https://twitter.com/takuyafurusawa7

 

車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。
古澤 拓也 (著)

パラリンピック銀メダリストの挑戦の26年

「障がい者になってよかった」とは思わないけれど、生まれ変わっても、僕は間違いなく今の人生を選ぶ。

東京2020パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表選手・古澤拓也は、世界トップクラスのボールハンドリングと3ポイントシュートを武器とする。
2017年男子U23世界選手権では、キャプテンとしてチームをけん引し、オールスター5に選出された。

「ずっと歩けるままでいたかった」と語った彼が自分を認められるようになるまでの26年間の人生、そして、銀メダリストになるまでの挑戦を読むと、今苦戦している方、将来の可能性が見えなくなっている方も光の道筋が見えてくるはず!

古澤拓也は確信している。
「置かれた状況によって人生が決まるわけではない」と。

 
【編集担当からのおすすめ情報】
「置かれた状況によって人生が決まるわけではない。」
古澤拓也の生き方を見ていると、それがよくわかります。

「他の人と同じである必要はない」と考え、自分らしい生き方に挑戦し続ける彼が到達したのは、東京2020パラリンピック。

日本列島を湧かせた車いすバスケットボール決勝戦、激闘のコートの中で、研ぎ澄まされていく彼の五感・冴え渡る思考は必見です!

 


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