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伊集院静さん初の時代小説を大胆に改題・文庫化『48KNIGHTS』が刊行

伊集院静さんが「忠臣蔵」に材をとり、大石内蔵助良雄の生涯を豊潤な物語として綴った初の時代小説作品『いとまの雪 新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯』を大胆に改題し文庫化した『48KNIGHTS(フォーティーエイト・ナイツ) もうひとつの忠臣蔵』が光文社より刊行されました。

 

忠臣蔵は世界最高の騎士道物語だ――。

 
【あらすじ】

元禄十四年、赤穂藩主・浅野内匠頭は吉良上野介に対し刃傷、即日切腹の裁定が下る。仇討ちかお家再興か。未曾有の事態のなか、家老・大石良雄の決意は“君、辱められし時は、臣死す”。すでに一命を賭す覚悟だった。良雄を陰で支える“四十八番目の志士”とは!? 史上名高い四十七士の復讐劇を新たな視点で描き切る歴史巨編。

 
<大胆な改題を施して刊行した意図や現代の若者たちへの思いも語った『小説宝石』5・6月合併号のインタビューより>

◆単行本の『いとまの雪 新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯』から大胆にタイトルを変えての文庫化となりました。どのような意図があったのでしょうか。

これまで百冊以上の文庫を出してきましたが、同じタイトルで出すのではなく、もう少し工夫できないものかと考えていました。特に、今の若者の大半は『忠臣蔵』を知らないんですよ。歴史の事実として、そういう仇討ちがあったということ自体を知らない。「何、それ?」と聞かれることもあるんで、「本当かね」って思うんだけどね。われわれの世代では毎年暮れになると『忠臣蔵』があった。知らないんじゃ映像化もできないと思っていたので、考えた。今の若い人って横文字を受け入れ易いところがあるんですかね。もう『いとまの雪』では作品のひろがりが望めないし、反応も少ないのではと思ったわけです。

 
◆それで『48KNIGHTS』と名付けた理由はなんでしょうか。

イギリス人や、アメリカ人で特に東海岸に暮らす人たちから、『忠臣蔵』を絶賛する声を聞きました。これは東洋一の騎士道精神で、王に対する家臣の誓いを端的に表しているのではないか。サムライの死生観は称賛されるべきだ、と。イギリスだったらアーサー王と円卓の騎士ですね。騎士たちは円卓に並んで、王の前で剣を差し出す。何を意味しているかというと、あの刃は自分たちに向けられたもので、王のために自分たちは死ぬ覚悟がある。その約束というわけです。『いとまの雪』というタイトルは、これは私の創作ですが、作中にある山鹿素行が大石内蔵助良雄に宛てた手紙の中にある一節「生きるは束の間、死ぬはしばしのいとまなり」からとったものでした。この言葉がこの小説の根にあるものですが、文庫化にあたっては騎士(KNIGHT)と合わせてみようじゃないかと考えた。それともうひとつ、吉良邸の討ち入りは内蔵助はじめ四十七人の志士によって決行された。私の新説忠臣蔵では、討ち入りには参画しなかったけれど、忠臣としてもう一人の重要人物を描いています。これを加えて四十八としたわけです。

 
◆本作は伊集院さんにとって初めての時代小説となったわけですが、伊集院版忠臣蔵はどこが新しいのでしょうか。

忠臣蔵を書こうと思ったのは、私の親友が赤穂の出身だったからです。もう亡くなってしまったけど、彼から「もし、時代小説を書くようなら忠臣蔵にしてくれないか」と頼まれていた。あと、ある作家に「手を出してはいけない時代小説はなんだ」と聞いたら、忠臣蔵と千利休だった。「千利休を書くと死ぬぞ」と。千利休をやった作家は割と早く死んでいるらしい。忠臣蔵は、堀部安兵衛の熱烈な応援団が新潟の新発田(しばた)にいて、毎年、義士の恰好をしてエイエイオーとかやっているから、堀部安兵衛だけは悪く書いてはいけませんとか言うんですね。だったら、書いてみるか、と思ったんですよ。

私の忠臣蔵で新しいところは、そもそも忠臣蔵の多くは、元禄十四年(一七〇一年)に刃傷「松の廊下」があって、浅野家の取り潰しにつながったとある。私の忠臣蔵では、その数年前、貞享元年(一六八四年)にあった江戸城内での稲葉石見守正休による刃傷沙汰から説き起こしている。これで稲葉家は取り潰しになるが、小説では、そもそも背景として幕府による大名の転封改易の陰謀があったとしています。そして山鹿素行は死の間際、良雄に手紙を託し、こうした幕府の陰謀に触れ、赤穂藩に忠告をしている。それが浅野内匠頭の事件につながっていくとした。

赤穂藩の次席家老である大野九郎兵衛の扱いも新しい視点で書いた。この小説の新聞連載を始めるときに、時代考証などをやっている大学の歴史学の教授に話を聞きました。そのとき教授から「大野九郎兵衛はずっとみんなから嫌われてきた。これを救ってやったら、ほんとに救いになりますね」と言われた。私は、「あ、それはぜひ作品で救いたい」と。大野九郎兵衛は赤穂の城明け渡しに際し、逃亡した裏切り者として扱われてきた。最後に家財道具を私邸に取りに戻って、殺されそうになるんですよ。それぐらい赤穂では大野の名前は禁句になっている。だったら救ってやろうと考えた。私の忠臣蔵では、裏切り者の汚名を着てでも大石内蔵助を陰から支えていく人物として描いています。この大野九郎兵衛が四十八番目のKNIGHTです。もうひとり、四十七人のうち、脱走したとされる寺坂吉右衛門についても、内蔵助の密命によって隊を離れたとしています。こうした彼らの生き方も忠臣であり武士道であると書きたかった。

裏切り者はたくさんいたんですよ。最初は二百五十人くらい同調者がいたのに、どんどん抜けた。よく四十七人残ったと思います。彼らのお墓がある泉岳寺に行きましたが、並んでいる墓の下に本当に亡骸があると思うと、これだけまとめて人間が忠誠心のために死んでいく、そういう物語は世界の中でないだろうと思った。一番大事なことは、殿(浅野内匠頭)は切腹した。家臣が、城を明け渡すか籠城するか、それとも討ち入りかと議論しているときに、大石内蔵助は言う。「君辱めを受ければ、すなわち臣死す」と。王様が辱めを受けたら家来は全員死ぬというのだから。最初にそういう決め事を言われると、もう誰も口答えできないし、そういう内蔵助の精神の支柱は今の若い人には、まったく意味がわからないかもしれません。

 
◆伊集院版忠臣蔵では、大石内蔵助も若き日から切腹にいたるまでの生涯が魅力的に描かれています。

過去の小説や映像化された作品をみると、忠臣蔵をよくしようと思ったら、内蔵助のそばに魅力ある人物を作り出さなきゃいけないということがあります。私の作品では内蔵助の愛人となる「かん」や密偵の仁助、内蔵助の親友となる石清水八幡の住職など、これは創作。内蔵助の師となる軍学者の山鹿素行に関しては史実に基づいている。素行が浅野藩に帰ってくるときには、峠まで赤穂藩の重臣が出迎えに行っていることは、素行の日記にも書いてある。物語の最初に、徳川光圀が内蔵助と初めて会ったとき、「斬る。あの場で斬ってもよかった」「あの面容は、信義のためなら東照大権現にも弓を引くほどの肝をもっておる」と養嗣子に言ったという、内蔵助の将来を予言する場面も創作。そういうものは物語の先に出しといた方がよいだろうと考えた。小さなことだけれども意味があると思う。

内蔵助に関しては、興味を抱けるキャラクターに作り上げています。例えば、妻の理玖が輿入れしてきた日、良雄は疲れた新妻の足をもんでやるが、足の指が曲がっているのに気づき、尋ねる。そこで「木から落ちました」との返事に、「豊岡では娘は木にのぼるのか」「いいえ、私だけでございます」と書いたが、ちょっとユーモアのある夫婦にしたかった。暗い物語にはしたくなかったので、とにかく内蔵助という人間のキャラクター付けがすごく大事でしたから考えた。これについては、すごく面白いという批評が多かったですね。

 
◆今の時代に忠臣蔵は受け入れられるでしょうか。

この作品のテーマでもある、忠誠を尽くすとか献身的に尽くして生き抜くとか、それは意外と受け入れられるのではと思っています。受け入れられないのだったら、この時代まで忠臣蔵という物語は作品として生き続けてこられなかった。歌舞伎でも、『仮名手本忠臣蔵』は今でも人気がありますからね。はっきり言うと、サラリーマンの生き方としても、実はここに見習うべきものがあるのではないかと思います。よく、転職サイトのCMなんかで、転職してみんな偉くなったとかいうけど、そんなことは実際にはほとんどないから。やはりどのくらい会社に忠誠を尽くす社員がいるかということで、優秀な会社とそうでない会社とに分かれている。転職サイトとは江戸時代でいえば口入れ屋です。彼らは紹介料で大儲けしているけど、口入れ屋が流行っているときは、必ず世の中がおかしくなっているわけですよ。

 
◆若者に受けるでしょうか。

それはちょっと難しいかもわからない。ただ、最近の作家でいうと、力強い作品がないんですよ。直木賞の選考会でも発言したのだけれど、今の作家は中学時代、高校時代とか、そういうものを書き過ぎだ、と。要するにリアリティがその時代しか出せないから、いざ社会人のことになるともう全然書けない。「今の作家は子供なんだよ。子供の作品を忙しいのに読んでおられるか」って言ったらみんな黙っちゃったんだ。

それはともかく、『48KNIGHTS』でいうと、この文庫は四月に出ましたが、十二月に出すから『忠臣蔵』という発想では、もう『忠臣蔵』は売れないんです。これはね、本屋でこの文庫を手に取った若者が、ちょっと運が悪かったのか、良かったのかわかりませんが、「『48KNIGHTS』読んだ? 面白かったね」という話で、「あれって事実らしいよ」とかね、そういう方向にいけばよいなと思っています。

(聞き手・執筆:滝野雄作さん、撮影:太田真三さん)

 

著者プロフィール

著者の伊集院静(いじゅういん・しずか)さんは、1950年生まれ、山口県防府市出身。立教大学文学部卒業。1981年短編小説「皐月」でデビュー。

1991年『乳房』で吉川英治文学新人賞、1992年『受け月』で直木賞、1994年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で吉川英治文学賞を受賞。2016年には紫綬褒章を受章。

『日傘を差す女』『琥珀の夢』『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』『ミチクサ先生』、エッセイ集『大人への手順』、「大人の流儀」シリーズなど、著書多数。『48KNIGHTS(フォーティーエイト・ナイツ) もうひとつの忠臣蔵』は著者初の時代小説作品の文庫化。

 

 


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