戦争や災害から感染症まで、国境を超えあらゆる緊急事態に駆けつける無給のドクターたちがいることを知っていますか? 『野戦のドクター』が刊行
トニー・レドモンドさんのノンフィクション作品『野戦のドクター 戦争、災害、感染症と闘いつづけた不屈の医師の全記録』(訳:不二淑子さん)がハーパーコリンズ・ジャパンより刊行されました。
最悪の悲劇を目にしても、毒にやられても、重傷を負っても、救うことをやめなかった医師の物語
人々が目を背けたくなる悲劇の最前線へ無給で駆けつけ、時に銃弾が飛び交うなか治療し、時に一触即発の地域の権力者と交渉し、時に国際政治のパワーゲームに巻き込まれ、時に命を狙われ……歴史的出来事の裏側で奮闘している、そんな名もなきヒーローたちの存在をご存知でしょうか?
本書の著者トニー・レドモンド医師は、ボスニア内戦、スマトラ島沖地震、パンアメリカン航空爆破事件から新型コロナウイルスまで、世界中の緊急医療の最前線に立ってきた救急救命の第一人者。どんなに過酷な状況に陥っても彼が「他者を救うことをやめなかった」理由はどこにあったのか――?
30年以上にわたりレドモンド医師が目にしてきた数々の悲劇、人間ドラマがありのままに綴られた本書は、読む者に人間の在り方を問いかけてくる究極のドキュメンタリーです。
本書より(一部抜粋)
ロッカビーの悲劇 パンアメリカン航空爆破事件 1988年
早朝、私たちのチームはホールに集まり、警察幹部の話を聞いた。その幹部は清潔でしっかり睡眠をとったすっきりした顔をして、皮肉ではなく、私たちに言った。「ほんとうの仕事はこれから始まる。君たちは世界中の注目を浴びることになるだろう」。そして、これは犯罪捜査だと念を押した。すべての死体はそのままの状態にしておくこと。タグと番号はつけてもいいが、動かしてはならない。屋根の上に、丘の上に、町じゅうに散らばった死体を、朝日が次第に明るく照らしはじめるなか、その言葉はずっと私の頭から離れなかった。町の住民が丘を見あげるところを、この町が世界の報道機関を招き寄せるかがり火となるところを想像した。
だから、私たちは乗客の女性の遺体を屋根から降ろした。通りを歩いて戻っていると、ラジオ局の記者が頼んでもいないのに、マイクを顔に突きつけてきて「今まであなたが見たなかで最悪のものは?」と言った。「あんたたちだ」と私は答えた。それが放送されることはなかった。
ロッカビーの住民は苦難に見舞われた。空から飛行機が落ちてきて、隣人を殺し、町を永遠に変えた。そうした突然の恐怖に見舞われると、人は強引に正常さを求めようとする。恐怖を排除し、災害の数秒前までの生活に戻すために。ある男性は、大勢の報道陣や救助隊員をかき分けて、地元の店のドアを叩いた。「なぜ開いてないんだ? 牛乳と朝刊が必要なのに!」彼はすでに一面のニュースを知っていたが、日常を求めて叫んでいたのだ。
1ヵ月たたないうちに、私の人生は一変した。夜は死体の山のなかで窒息する夢を見て目が覚めた。恐怖のあまり汗をかいていた。目撃した惨状と耐えがたい悲しみが濃い霧のようにまとわりつき、体を動かすことも何かを考えることもできずにいた。
選ばなければならないことはわかっていた。二度と緊急支援はしないと決意し、記憶を葬り去り、すべてを忘れて、自分自身と家族を守るか。あるいは、緊急支援をライフワークにして、適切に行なうか。良くも悪くも、私は後者を選んだ。
包囲された街――サラエボ 1992年
明け方、ザグレブに到着した。私はホテルのロビーで外務・英連邦省の代表だという人物に出迎えられ、「なぜあなたたちがここに来ているのかわからない」と言われた。しゃれたサファリスーツを身にまとったその男によれば、「外務省は、現地入りした赤十字国際委員会から、サラエボには”世界レベル”の病院とスタッフが揃っていると報告を受けた」のだという。
海外開発庁の担当者に電話したところ、外務省の担当者は無視して、その日のうちにサラエボに向かう準備をするようにとアドバイスされた。空港に到着すると、飛行機はすでにタキシング中で、私たちの搭乗手続き書類は官僚の不手際か怠慢による不備で却下されていた。私はサファリスーツを着た友人の策略ではないかと疑った。疑念を深めたのは、乗るはずだった飛行機が離陸した直後に、彼が上ポケットから紛失したはずの搭乗許可証を取りだしたときだった。
しかし、まだ完全に道が閉ざされたわけではなかった。ユニセフで働くイタリア人小児科医から、声をかけられた。彼はサファリスーツの不正行為を目撃しており、医師同士連帯して、私たちがイタリア機に搭乗できるように協力すると申し出てくれたのだ。
イタリア空軍機のクルーは公的な書類を持たない私たちを受け入れ、〝透明人間?と呼んで大歓迎してくれた。サラエボ空港に着陸するとき、イタリア機はミサイル攻撃を避けるための急降下着陸――私が事前に説明を受け、のちに何度も経験した着陸方法――をしないで、通常の緩やかな着陸をしているように感じた。
6週間後、その空軍機は撃墜され、新しく知り合ったイタリアの友人たちも殺害された。機体の残骸は、アンコーナ空港のモニュメントになった。私はサラエボ紛争末期の数年間、たいていアンコーナ空港を経由してサラエボに出入りした。空港に立ち寄ったときは、かならずそのモニュメントのまえで足を止めて敬意を表し、彼らの勇気や温かさ、優しさを思いだした。
担当編集者からのコメント
目を背けたくなるような悲劇の最前線へ無給で駆けつけ、時に銃弾が飛び交うなか治療し、時に一触即発の地域の権力者と交渉し、時に国際政治のパワーゲームに巻き込まれ、時に命を狙われ……著者レドモンド医師はまさに「超人」と呼びたくなるバイタリティの持ち主ながら、怒りや弱さを隠さず吐露する人間らしさが本書にいっそうのリアリティをもたらし、信じがたいような出来事の数々を読む者にぐっと身近に感じさせます。
「人道支援を通じて偽善者と言われることもある。それでも、シニシズムは何も生み出さず、何もしないことを正当化しようとする」――とレドモンド医師は語ります。綺麗ごとでも感動秘話でもない、緊急医療現場のリアルが全編に貫かれた本書。正解が見えなくても行動することに意味があるという著者のメッセージは、国や性別、年齢を問わず今を生きるあらゆる人々に響くのではないかと思います。
混沌とした時代だからこそ読みたい、熱く背中を押してくれるような1冊。ぜひご注目いただけたら幸いです。
著者プロフィール
著者のトニー・レドモンドさん(Dr Tony Redmond)は、医学博士。マンチェスター大学国際救急医学教授。
30年以上にわたり緊急医療の第一人者として国連、WHO、英国政府と協力し、災害や戦争など世界中で助けを必要とする人々に救命医療を提供してきた。NGO 〈UKメッド〉創設者。これまでの活動を通じ、重金属中毒、マラリア、脊椎骨折の重傷を負った過去を持つ。
野戦のドクター 戦争、災害、感染症と闘いつづけた不屈の医師の全記録 (ハーパーコリンズ・ノンフィクション) トニー レドモンド (著), 不二 淑子 (翻訳) 緊急医療の革新者が綴った「いのちの現場」の 最前線。 ボスニア内戦、クルド人難民キャンプ、四川、スマトラ島沖地震、パンアメリカン航空爆破事件から新型コロナウィルスまで、世界中の悲劇の最前線に立ってきた男は、何を目にしたのか――? 2020年1月、「Covid-19」の最初の2例が英国で確認された。 |
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