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【訃報】俳人・金子兜太さんが死去 戦後の俳壇をリード

戦後日本を代表する俳人の金子兜太(かねこ・とうた)さんが2月20日、埼玉県熊谷市の病院で死去しました。98歳。埼玉県出身。葬儀は近親者のみで営み、後日お別れの会が開かれる予定。

 
金子兜太さんは、1919年(大正8年)生まれ。旧制水戸高校、東京帝国大経済学部を卒業。加藤楸邨(かとう・しゅうそん)が主宰する「寒雷」に参加し、楸邨に師事。

1943年、日本銀行に入行するも、1944年には海軍士官として西太平洋のトラック島に派遣され、終戦を迎えます。捕虜生活を経て復員。1947年に日銀に復職。

戦後は社会的な題材やテーマを詠み、無季の句を提唱するなど、「社会性俳句」「前衛俳句」に取り組みました。また、小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られます。1962年に同人誌「海程(かいてい)」を創刊、のちに結社誌となり主宰に就任。

1983年に現代俳句協会会長となり、2000年から同協会名誉会長。1996年に詩歌文学館賞、2002年に蛇笏賞、2003年に日本芸術院賞、2010年に菊池寛賞、2016年(2015年度)に朝日賞を受賞。2005年に日本芸術院会員、2008年に文化功労者。

 

句集 東国抄
第36回蛇笏賞受賞。
よく眠る夢の枯野が青むまで/老梅の白咲き白濁の残雪/夢の中人々が去り二、三戻る-など1995年秋から2000年初夏までの作品を収録する。著者の13番目の句集。

 
句集 日常
第51回毎日芸術賞特別賞、第2回小野市詩歌文学館賞を受賞!第十四句集。

この日常に即する生活姿勢によって、踏みしめる足下の土が更にしたたかに身にしみてもきた。郷里秩父への思いも行き来も深まる。徒に構えず生生しく有ること、その宜しさを思うようになる。文人面は嫌。一茶の「荒凡夫」でゆきたい。その「愚」を美に転じていた<生きもの感覚>を育ててゆきたいとも願う。アニミズムということを本気で思っている。
(あとがきより)

『日常』十五句より
秋高し仏頂面も俳諧なり
安堵は眠りへ夢に重なる鞨の頭
濁流に泥土の温み冬籠
左義長や武器という武器焼いてしまえ
みちのくに鬼房ありきその死もあり
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ
民主主義を輸出するとや目借時
炎暑の白骨重石のごとし盛り上る
母逝きて雲枯木なべて美し
いのちと言えば若き雄鹿のふぐり楽し

 
他界
「他界」は忘れ得ぬ記憶、故郷――。
なにも怖がることはない。
あの世には懐かしい人たちが待っている。

俳句界の最長老にして、「朝日俳壇」選者を30年つとめる御年95歳の俳人・金子兜太さん。今もお元気そのもので、2014年3月にはNHKで『94歳の荒凡夫 俳人・金子兜太の気骨』と題して、彼の生き様が1時間番組で放映されるなど、多くのファンを持つ存在です。
金子さんは、壮絶な戦争体験や、92歳でのガン手術の克服などの体験を通して、「いのちは死なない」という実感を持つに至りました。他界では自分の親しい人が待っている、その交信を「立禅(立ちながら親しい人の名前を100人以上呼んで唱える)」を毎日して行っている。その親しい人が待っていて、いつか自分が行く世界についての考え方を金子さんは「他界説」と名付けました。

これは、金子さんの95歳までの生き方を辿りながら、「生きること」と「死ぬこと」についての書き下ろし作品です。95歳まで生きた人の言葉の重みが、生老病死に思い悩む多くの読者の心に響く一冊。
「他界説」は長生きの秘訣です!

 


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