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日本の漫画の原型を作り、手塚治虫さんに大きな影響を与えた二人の男たちの足跡を描く『北澤楽天と岡本一平 日本漫画の二人の祖』刊行

竹内一郎さん著『北澤楽天と岡本一平 日本漫画の二人の祖』

竹内一郎さん著『北澤楽天と岡本一平 日本漫画の二人の祖』

「COOL JAPAN」の代表的存在として、世界中で大人気を誇っている日本の漫画・アニメーション。
この礎を作ったのは手塚治虫さんですが、実はこの手塚さんに大きな影響を与え、今も続く漫画の形式の原型を作り出した二人の先人が、明治・大正・昭和のはじめに活躍していました。
北澤楽天と岡本一平の二人です。

その二人の男たちの足跡を描いた竹内一郎さん著『北澤楽天と岡本一平 日本漫画の二人の祖』(集英社新書)が、集英社より刊行されました。

 

「手塚治虫」以前、日本漫画の源流を作った男たちがいた!

北澤楽天は福沢諭吉が創刊した新聞『時事新報』で風刺画を描いたのを皮切りに、漫画におけるキャラクターの重要性に気づき、魅力的な数多くの主人公──“茶目っ気”の語源となった『茶目と凸坊』や、日本初の「少女漫画」である『とんだはねこ嬢』──などを生み出しました。

 
岡本一平は夏目漱石に認められて『朝日新聞』に挿絵を描いたのち、コマ割りと文章を組み合わせて主人公の成長を描く大河ドラマ的な「ストーリー漫画」の原型を作り出しました。
さらにその表現方法も、フィルム的なコマ割り、デフォルメ、寄りと引き、背景の簡略化など、今につながる漫画の表現方法を確立しています。

 
さらに両者は、漫画雑誌や全集・作品集も大ヒットさせ、漫画という文化を日本中に広めるとともに、経済・社会・文化的にも大きな影響を残しました。

今でいえば『ONE PIECE』『DRAGON BALL』『美少女戦士セーラームーン』『ポケットモンスター』のような影響力を100年も前に見せていたと言えるでしょう。

 
本書では、彼らの漫画家としての足跡をつぶさに紹介し、さらに手塚治虫さんの活動も合わせて紹介することで、日本を代表する文化となった漫画・アニメーションの、明治・大正・昭和初期までの一気通貫の歴史を描き出しています。

 

北澤楽天と岡本一平について

 
■北澤楽天(きたざわ・らくてん/1876~ 1955年)

明治から昭和にかけて活躍した日本の漫画家。

福沢諭吉に誘われ『時事漫画』に風刺画を描いたのを皮切りに、『東京パック』『楽天パック』等を発刊して、政治風刺漫画・風俗漫画を描く。
また、漫画好楽会の結成などを通じて後進の育成に努めたことから、「日本の近代漫画の祖」と見なされている。

主な漫画作品に『田吾作と杢兵衛の東京見物』『灰殻木戸郎の失敗』『茶目と凸坊』『「とんだはねこ嬢』など。

 
■岡本 一平(おかもと いっぺい/1886~1948年)

東京美術学校西洋画撰科を卒業後、帝国劇場で舞台芸術に関わった後、夏目漱石から誘われ朝日新聞社に入社。漫画記者となる。
漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを築き、大正から昭和初期にかけて一時代を画す。

『一平全集』(先進社、全15巻)は5万セットの大ヒットを記録した。また「一平塾」という漫画家養成の私塾を主宰し、近藤日出造・杉浦幸雄・清水崑らを育てる。

妻は小説家の岡本かの子、芸術家・岡本太郎さんの父親である。

 

本書の構成

はじめに

第一章 ジャパニメーションの発展と手塚治虫

第二章 北澤楽天の生涯と業績

第三章 岡本一平の波乱の人生と功績

第四章 楽天山脈と一平山脈から連なる弟子たち

おわりに

 

著者プロフィール

著者の竹内一郎(たけうち・いちろう)さんは、1956年、福岡県生まれ。劇作家・演出家・漫画原作者。宝塚大学東京メディア芸術学部教授。博士(比較社会文化・九州大学)。

原案を担当した『哲也 雀聖と呼ばれた男』で講談社漫画賞(筆名:さいふうめい)、『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞を受賞。

著書に『人は見た目が9割』『やっぱり見た目が9割』(新潮新書)、『人生は「声」で決まる』(朝日新書)など。

 

 


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