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【第13回舟橋聖一文学賞】河治和香さん『がいなもん松浦武四郎一代』が受賞 青年文学賞は薛沙耶伽さん「水槽と病室」

彦根市は3月6日、第13回舟橋聖一文学賞および第31回舟橋聖一顕彰青年文学賞の受賞作を発表しました。

なお、毎年開催されていた授賞式については、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、今回は開催されないこととなりました。

 

第13回舟橋聖一文学賞および第31回舟橋聖一顕彰青年文学賞の受賞作が決定!

第13回舟橋聖一文学賞および第31回舟橋聖一顕彰青年文学賞の受賞作は、次の通りです。

 
<第13回舟橋聖一文学賞>

河治和香(かわじ・わか)さん
『がいなもん松浦武四郎一代』(小学館)

河治和香さん

河治和香さん

 
<第31回舟橋聖一顕彰青年文学賞>

薛沙耶伽(せつ・さやか)さん
「水槽と病室」

薛沙耶伽さん

薛沙耶伽さん

 

舟橋聖一文学賞および舟橋聖一顕彰青年文学賞について

舟橋聖一文学賞は、彦根市が2007年に彦根城築城400年を記念して創設。彦根市民が豊かな心を育み、彦根市に香り高い文化を築くため、彦根市の名誉市民である作家の故舟橋聖一さんの文学の世界に通じる優れた文芸作品に贈ります。

舟橋聖一顕彰青年文学賞は、1984年12月に舟橋家から「故舟橋聖一顕彰事業基金」としての寄付を受け、これを基に1989年度から、全国の青年を対象に広く作品を公募し、文学の登竜門として「青年文学賞」を贈っています。

 
【舟橋聖一さん プロフィール】

明治37年、東京生まれ。水戸高校時代から文学に傾倒、東京帝国大学国文科在学中、村山知義さん・河原崎長十郎さんらと劇団「心座」を結成し、新劇活動に没頭した。
卒業後、明治大学で教鞭をとりつつ「文芸都市」「近代生活」等の同人に参加。初めて発表した作品は、昭和5年の戯曲集『愛慾の一匙』。

昭和9年には雑誌「行動」に『ダイヴィング』を発表、行動主義を提唱し反響を呼び、翌年「文学界」の同人となった。戦時中『悉皆屋康吉』を脱稿し、作家的地位を不動のものとした。
戦後、昭和27年から10年間書き続けた「夏子もの」では、日本の季節感を濃淡鮮やかに描き、昭和39年『ある女の遠景』で毎日芸術賞を受賞。同年6月、開国の英雄・井伊大老を描いた『花の生涯』創作の功績により、彦根市名誉市民第1号に迎えられ、昭和41年には日本芸術院会員となった。
この頃から眼を患い、不自由な口述筆記で完成した『好きな女の胸飾り』で昭和42年度の野間文芸賞を受賞。 また、昭和50年には、文化功労者に推載されたが、翌年1月13日急性心筋梗塞により、71歳の生涯を閉じた。

 

がいなもん 松浦武四郎一代
河治 和香 (著)

“北海道の名付け親”を描いた決定版小説!

明治16年。齢60を過ぎても矍鑠としている松浦武四郎は、絵師の河鍋暁斎の家にやって来ては、暁際の娘の豊に昔語りを始めるのだった――。
武四郎は、文化15年に伊勢国、今の三重県松阪に生まれた。早くから外の世界に興味を持ち、16歳で家出する。その後は、蝦夷地をはじめ日本全国を歩いた冒険家として、また“北海道の名付け親”として知られる。
蝦夷地は6回も訪れ、アイヌと親しく交わり、9800(!)ものアイヌの地名を記した地図を作り、和人による搾取の実態を暴いて公にしたため、命を狙われた。そして、〈北海道〉は最初の提案では、〈北加伊道〉だったという。そこにはアイヌの人々に対して籠められた武四郎の思いがあった。蝦夷地通として、吉田松陰や坂本龍馬にも相談に乗っていた。
ただ、武四郎の凄さはこれだけではない。
古銭をはじめとして一流の蒐集家であり、古希の記念に富士登山をしたり、葬儀の一部始終を記した遺言状を作ったり、一畳敷の茶室を自分の棺にしようとしたり、〈終活〉にも達人ぶりを見せていた。
武四郎老人が自らの生涯を振り返るという形式で、「傑物にして奇人」であった全貌に迫る伝記小説。

 


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