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【第44回日本SF大賞】長谷敏司さん『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』が受賞 功績賞に石川喬司さん、豊田有恒さん、聖悠紀さん、松本零士さん

日本SF作家クラブは2月23日、2022年9月1日より2023年8月31日までの間に発表されたSF作品の中から最も優れた作品に贈る「第44回日本SF大賞」の受賞作を発表しました。

 

第44回日本SF大賞が決定!

第44回日本SF大賞は、2月23日にZoomで行われた選考会の結果、次の通り大賞が決定しました。
なお功績賞が、故・石川喬司さん、故・豊田有恒さん、故・聖悠紀さん、故・松本零士さんに贈られます。

選考委員は池澤春菜さん、井上雅彦さん、草上仁さん、斜線堂有紀さん、立原透耶さん。
※なお、自作が候補に選出された斜線堂さんは書面での参加。

 
<第44回日本SF大賞 受賞者・受賞作品>

【大賞】
長谷敏司(はせ・さとし)さん
『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』(早川書房)

 
【功績賞】
◎石川喬司さん(評論家)
◎豊田有恒さん(作家)
◎聖悠紀さん (漫画家)
◎松本零士さん(漫画家)

 
大賞受賞作には正賞として賞状とトロフィー、副賞として賞金100万円(但し、受賞が複数の場合は等分)が贈られます。また、功績賞には正賞として賞状と記念品が贈られます。

贈賞式は2024年4月27日(土)、代官山 蔦屋書店にて開催されるイベント「SFカーニバル」内で行われ、日本SF作家クラブ公式YouTubeにてオンライン配信されます。

★日本SF作家クラブ公式YouTube:https://www.youtube.com/channel/UC-zZT661Iyh_df6AX07IkgA

★「SFカーニバル」(4月27日&28日開催)
◎公式サイト:https://store.tsite.jp/daikanyama/sf-carnival2024/
◎公式X(旧Twitter):https://twitter.com/SF_CARNIVAL

 

受賞者プロフィール

 
【大賞】長谷敏司(はせ・さとし)さん

長谷敏司さん

長谷敏司さん

1974年生まれ、大阪府出身。2001年『戦略拠点32098 楽園』で第6回スニーカー大賞金賞を受賞しデビュー。
2009年に『あなたのための物語』が、2014年に『BEATLESS』が、それぞれ第30回・第34回日本SF大賞最終候補作となり、2015年の『My Humanity』で第35回日本SF大賞を受賞。2023年に『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』で第54回星雲賞日本長編部門を受賞
他の作品に、『円環少女』(2005~2011年)、『ストライクフォール』(2016~)などがある。2014年に『BEATLESS』およびその関連作品の世界観と設定を創作に利用可能なリソースとして一般に解放する「アナログハック・オープンリソース」を開設、現在も運営中。
[プロフィール作成:渡邊利道]

 
【功績賞】石川喬司(いしかわ・たかし)さん

故・石川喬司さん

故・石川喬司さん

1930年生まれ、愛媛県出身。東京大学フランス文学科卒業。大学卒業後の1953年、毎日新聞社に入社し、新聞記者・『サンデー毎日』編集者のかたわら創作・評論活動をおこなう。ミステリ評論の領域で実績を重ねるいっぽう、日本SFの黎明期から勃興期にかけてはほぼ唯一のSF評論家として、広い読者層にSFの魅力を伝えるため力を尽くした。

1987年に評論集『SFの時代 日本SFの胎動と展望』(奇想天外社、1977年)で第31回日本推理作家協会賞評論その他の部門賞を受賞。そのほか、書籍としてまとまったミステリ・SF評論としては、『極楽の鬼 推理小説案内』(早川書房、1966年)、『SF・ミステリおもろ大百科』(早川書房、1977)、『IFの世界』(毎日新聞社、1978)がある。1979年には東京大学で日本初のSF講義(文学と時間)をおこなった。日本SF大賞では、第2回から第17回(1981~96年)の選考委員を務める。また、2005年にはじまった日本SF評論賞では選考委員長を務める(第3回まで)など、後続のSF評論家の育成にも取り組んだ。
小説家としては、日本SF第一世代における“F派”(文学派・ファンタジイ派)の旗手として知られ、『魔法つかいの夏』(早川書房、1968年)、『アリスの不思議な旅』(ハヤカワ文庫、1974年)、『世界から言葉を引けば』(河出書房新社、1978年)、『彗星伝説』(講談社、1982年)、『絵のない絵葉書』(毎日新聞社、1986年)といったSF短篇集を著した。そのほか、競馬小説を集めた『石川喬司競馬全集』(全3巻、ミデアム出版社、1992~93年)など。編纂したアンソロジー多数。競馬評論家としても有名。2023年7月9日に逝去。
[プロフィール作成:牧眞司]

 
【功績賞】豊田有恒(とよた・ありつね)さん

故・豊田有恒さん

故・豊田有恒さん

1938年生まれ、群馬県前橋市出身。武蔵大学経済学部卒業。在学中の1961年、第1回空想科学小説コンテストに投じた「時間砲」が佳作に入賞。それをきっかけとして、SF同人誌「宇宙塵」に参加し、活動的なメンバーとなった。1962年、第2回ハヤカワ・SFコンテスト(賞の名称が空想科学小説コンテストから変更)に、「火星で最後の……」が佳作入賞。この作品が「SFマガジン」1963年4月号に掲載されてプロデビュー、同誌の常連寄稿者となる。
1966年には最初の著作となる短篇集『火星で最後の……』(早川書房)を、翌67年には初長篇『モンゴルの残光』(早川書房)を上梓。そのほかの代表作として、『退魔戦記』(立風書房、1969年)、『火の国のヤマトタケル』(ハヤカワSF文庫、1971年)、『タイムスリップ大戦争』(角川書店、1975年)などがある。
活字メディア以外では、1963年のアニメ「エイトマン」を皮切りとして、「鉄腕アトム」「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」などに脚本家として参加。「宇宙戦艦ヤマト」では原案・設定にかかわった。
豊田有恒さんの日本SF界への貢献は、実作者の立場だけにとどまらない。1977年から「SFマガジン」で読者の創作投稿コーナー「リーダーズ・ストーリイ」の選者を務め(1981年まで)、多くのアマチュア作家を励ました。実際、このコーナーには山本弘さんや岬兄悟さんをはじめ後にプロデビューする作家が作品を寄せている。また、1983年から1991年にかけて下北沢でSFプロダクション「パラレル・クリエーション」を主宰し、何人ものクリエーターに活動の拠点を提供した。また、1986年から翌87年にかけて日本SF作家クラブの会長(5代目)。日本SF大賞では、第1回から第9回(1980~88年)、および第30回から第33回(2009~12年)の選考委員を務める。2023年11月28日に逝去。
[プロフィール作成:牧眞司]

 
【功績賞】聖悠紀(ひじり・ゆき)さん

故・聖悠紀さん

故・聖悠紀さん

1949年生まれ、新潟県新発田市出身。1966年からマンガ同人サークル「作画グループ」の主要メンバーの一人として活動。1967年、同グループの肉筆回覧誌に「超人ロック」の第一作を発表。現在は「ニンバスと負の世界」として知られるエピソードで、ここから50年以上続く作品となっていく。1971年『別冊少女コミック』5月号に「うちの兄貴」を発表して商業誌デビュー。
「超人ロック」のシリーズも前後して1969年『この宇宙に愛を』、1971年に『ジュナンの子』、1974年に『コズミックゲーム』を作画グループから発表していた。
プロ活動としてはアニメ作品「超電磁マシーン ボルテスV」「闘将ダイモス」や特撮作品「忍者キャプター」のキャラクターデザインを担当、「闘将ダイモス」「大鉄人17」「宇宙戦艦ヤマト」のコミカライズも手がける。1977年に『月刊OUT』で『超人ロック』の特集が組まれたことで一気に人気が広まり、1979年から『週刊少年キング』で連載スタート。以後、発表媒体を変えながらシリーズは続くこととなり、『コミックフラッパー』連載の「憧憬」、『ヤングキングアワーズ』連載の「カオスブリンガー」を体調不良で休載するまでライフワークとして描き続けた。
「超人ロック」以外でも1978年発表の『黄金の戦士』は異世界転移から始まるファンタジーの先駆けで、少年少女が正義の味方として活躍する『ファルコン50』やSFコメディ『くるくるパッX』など、SFをベースに置いた様々な作品を描いていった。
プログレッシブ・ロックのファンとしても知られる。2022年10月30日に七十二歳で逝去。没後の2023年4月10日、第52回日本漫画家協会賞として『超人ロック』に文部科学大臣賞が贈られた。理由は「肉筆同人誌で生まれて、商業誌に活動の場を広げ戦い続けた不死身の美少年ヒーローは、僕らその後のマンガ少年少女にとって大いなる憧れでした」
[プロフィール作成:タニグチリウイチ]

 
【功績賞】松本零士(まつもと・れいじ)さん

故・松本零士さん

故・松本零士さん

1938年生まれ、福岡県久留米市出身。小倉で育ち、6歳の頃から絵を描き始め、9歳で手塚治虫さんの『新寶島』『月世界紳士』と出会い漫画を描くようになる。15歳の時に『蜜蜂の冒険』が「漫画少年」の第1回漫画新人王で新人王を受賞、商業誌デビューを果たす。
1957年に「少女」に掲載された『黒い花びら』が実質的な漫画家デビュー作で、この頃に上京も果たし、松本あきら名義で主に少女漫画誌で作品を発表する。
その後、青年漫画誌にも作品を発表するようになり、1968年「漫画ゴラクdokuhon」に『セクサロイド』を発表。1971年から「週刊少年マガジン」に連載した『男おいどん』が出世作となり、1972年に第3回講談社出版文化賞児童漫画部門賞を受賞した。『セクサロイド』や1968年の『光速エスパー』などSF漫画も描いていたが、1974年にアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の製作に関わり、以後、『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』『1000年女王』といった宇宙が舞台のSF漫画を相次ぎ発表。SF的な感性を漫画やアニメで表現するクリエイターとして大きく注目を集め、これらのアニメ化作品ともども「松本零士ブーム」を巻き起こし、日本だけでなく世界に向けて、SFが持つ壮大なストーリーとスタイリッシュなデザインを浸透させていった。
公人としては(公社)日本漫画家協会の常務理事(2000~2018年)として漫画家の地位向上等に取り組み、(公財)日本宇宙少年団の理事長(1994~2021年)も長く勤めて子どもたちに対する宇宙や科学の教育に力を尽くした。1978年に『銀河鉄道999』『戦場漫画シリーズ』で第23回小学館漫画賞を受賞し、一連のSFシリーズにて第7回日本漫画家協会特別賞も受賞。1990年には『V2(ツイン)パンツァー』で星雲賞の受賞も果たした。2001年紫綬褒章、2010年旭日小綬章受章、2012年フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。「漫画家は、刀をペンに持ち替えた永遠の浪人」を持論に漫画を描き続け、2018年にも『銀河鉄道999』の最新作を発表した。2023年2月13日に85歳で逝去。
[プロフィール作成:タニグチリウイチ]

 

日本SF大賞について

日本SF大賞は、一般社団法人「日本SF作家クラブ」が1980年に創設し、主催している文学賞です。毎年9月1日から翌年8月31日までの1年間に発表された作品を対象としています。ピクシブ株式会社と株式会社ブックリスタが協賛。

大賞受賞作には正賞として賞状とトロフィー、副賞として賞金100万円(但し、受賞が複数の場合は等分)が贈られます。また、特別賞、功績賞には正賞として賞状とトロフィーが贈られます。

トロフィー原型デザイン:横山宏/写真:藤井太洋

トロフィー原型デザイン:横山宏/写真:藤井太洋

第34回より、候補作選出にあたって「エントリー制」を導入。日本SF作家クラブ会員だけでなく、一般のファンや読者も、同等の権利でエントリーに参加できます。

エントリーされた作品のなかから、日本SF作家クラブ会員の会員投票によって、5作品ほどの最終候補作品が選ばれます。そして、「選考委員の討議」により、最終候補作品のなかから日本SF大賞が決定します。

エントリーできる作品は「出版物や映像作品、および現実に起きた出来事や製品も含む」となっており、「はやぶさ帰還」などの出来事や、「ボーカロイド」「ASIMO」などの製品も対象となります。

エントリーの際の評価基準は、SFとしてすぐれた作品であり、「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」や「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」となります。

自薦・他薦は問わず、同人誌、インターネット上の活動、自主制作ゲーム・動画・音楽等、インディーズの作品全般もエントリーできます。

 

プロトコル・オブ・ヒューマニティ
長谷 敏司 (著)

伝説の舞踏家である父の存在を追って、身体表現の最前線を志向するコンテンポラリーダンサーの護堂恒明は、不慮の事故によって右足を失い、AI制御の義足を身につけることになる。絶望のなか、義足を通して自らの肉体を掘り下げる恒明は、やがて友人の谷口が主宰するダンスカンパニーに参加、人のダンスとロボットのダンスを分ける人間性の【手続き/プロトコル】を表現しようとするが、待ち受けていたのは新たな地獄だったーー。SF史上もっとも卑近で、もっとも痛切なファーストコンタクト。『あなたのための物語』「allo, toi, toi」『BEATLESS』を超える、10年ぶりの最高傑作。

 
【関連】
第44回日本SF大賞・受賞作決定! | 日本SF作家クラブ公式Webサイト

 


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