坂本龍一さん『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』が刊行 生前の日記を交えて綴られた特別原稿を収録
3月28日に逝去された坂本龍一さんが月刊文芸誌『新潮』に連載していた、最晩年までの活動をまとめた自伝を書籍化した『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』が6月21日に新潮社より刊行されます。
昨年6月より『新潮』で連載されていた自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を書籍化
新潮社では、『新潮』2022年7月号から2023年2月号まで、坂本龍一さんが闘病の様子を交えつつ2009年以降の活動をみずからの言葉で振り返る自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を連載していました。
先日文庫化された『音楽は自由にする』を継ぐものとして、死期を悟った坂本さんサイドからの提案ではじまった企画でもあります。
音楽制作から舞台芸術への参加、政治的発言まで多岐にわたる活動を支えてきた坂本さんの哲学、そして吉永小百合さんやBTS・SUGAさんをはじめとする著名人との交流など、盟友の鈴木正文さんを聞き手に、ここでしか読めないエピソードを多数披露しています。
以下に、連載開始時と完結時に坂本さんが寄せたコメントを再掲します。
坂本龍一さん コメント
【連載開始時】
夏目漱石が胃潰瘍で亡くなったのは、彼が49歳のときでした。それと比べたら、仮に最初にガンが見つかった2014年に62歳で死んでいたとしても、ぼくは十分に長生きしたことになる。新たなガンに罹患し、70歳を迎えた今、この先の人生であと何回、満月を見られるかわからないと思いながらも、せっかく生きながらえたのだから、敬愛するバッハやドビュッシーのように最後の瞬間まで音楽を作れたらと願っています。
そして、残された時間のなかで、『音楽は自由にする』の続きを書くように、自分の人生を改めて振り返っておこうという気持ちになりました。幸いぼくには、最高の聞き手である鈴木正文さんがいます。鈴木さんを相手に話をしていると楽しくて、病気のことなど忘れ、あっという間に時間が経ってしまう。皆さんにも、ぼくたちのささやかな対話に耳を傾けていただけたら嬉しいです。
(2022年6月7日)
【連載完結時】
2020年の末、自らに残された時間を悟ったぼくは、生きているうちにしておかなくてはいけないことをリストアップしました。そのひとつが、『音楽は自由にする』以降の活動を自分の言葉でまとめておくことでした。少々慌ただしいスケジュールだったけれど、聞き手の鈴木正文さんにも助けられながら、間もなくリリースされる『12』までの足跡を振り返ることができ、今はホッとしています。連載は完結しますが、もちろんこの先も命が続く限り、新たな音楽を作り続けていくつもりです。
(2023年1月6日)
巻末には鈴木正文さんの「著者に代わってのあとがき」を掲載
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』でじは、著者本人の手による「あとがき」は、残念ながら坂本さんが3月28日に他界したことでかなわなくなり、本書の口述筆記の聞き手を務めた鈴木正文さんが巻末に「著者に代わってのあとがき」を寄せています。
その原稿の準備中、鈴木さんは坂本さんの遺族から数枚のプリントアウトを手渡されました。それは生前の坂本さんがPCやiPhoneでつけていたという日記の一部でした。
年明けに20時間にわたる大手術を受けたあとの2021年5月12日
《かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ》
YMO時代からの盟友・高橋幸宏さんが亡くなり1ヶ月ほどが経った2023年2月18日
《NHKの幸宏の録画見る/ちぇ、Rydeenが悲しい曲に聴こえちゃうじゃないかよ!》
鈴木さんによる原稿では、こうした貴重な資料も交えつつ、口述筆記のプロジェクトが終わり今年を迎えてからの坂本さんの最期の日々のことが初めて明かされます。文字通り死の直前まで他者のため、そして自分のためにも仕事を続けた教授の姿を、この「あとがき」から知ることができるでしょう。
<鈴木正文さん コメント>
坂本龍一さんが最後の日々に書きつけたことばや思想の断片をとどめる「日記」のうち、2022年9月23日のものには、「ぼくは古書がないと生きていけない/そしてガードレールが好きだ」との記述があります。「あとがき」では、そのまま紹介し、コメント類は付加しませんでしたが、「古書がないと生きていけない」という吐露につづいて、「ガードレールが好きだ」という告白があったのには、虚をつかれました。それからというもの、僕はガードレールを見るたび、坂本さんのこのことばを呼び戻しては、路傍にうずくまるものいわぬかれらに、坂本さんに代わって(というつもりで)、語りかけます。照る日曇る日、黙して僕たちを護ってくれてありがとう、ガードレールさん、と。
カバー写真はニューヨークの自宅の庭に佇むピアノ
死生観とともに最晩年までの活動が語られた『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』のカバーに採用されたのは、ニューヨークの自宅の庭に佇むピアノの写真です。
坂本さんがこのピアノと出会ったのは、2015年のことでした。前年に最初のガンが発覚し、療養のためハワイを訪れた坂本さんは、現地の風土に惹かれて、勢いで中古住宅を購入したといいます。そこに置かれていたのが、今から90年近くも前に作られたというこのピアノでした。
住宅自体はすぐに手放してしまったそうですが、この古びたピアノとは別れがたく、ニューヨークへ持って帰ることにして、以来「自然に還すための実験」と称して、自宅の庭で野晒しのままにしてきたのだとか。次第に塗装も剥がれ、本来の木の状態が剥き出しになっていくこのピアノの姿に、坂本氏は自らの身体の変化を重ねていたのかもしれません。ほかにも東日本大震災後の「津波ピアノ」との出会いなど、本書には自然と人間のあるべき関係を考察したエピソードがいくつも登場します。
なお、表紙を開いてすぐの本扉には、ピアノの写真と同じくZakkubalanの撮影による、生前の坂本さんが大変気に入っていたという「満月」モチーフのアートワークをあしらっています。
「新潮」編集部より
坂本龍一氏がガンのステージ4にあると診断され、医師から余命宣告を受けたのは、2020年12月のことでした。そこから、プロデューサーでもあるパートナーとも話し合い、「生きているうちにしておくべきことのリスト」を作ったといいます。
先日文庫化された2009年までの自伝『音楽は自由にする』以降の活動を振り返る、口述筆記のプロジェクトを進めることになったのも、その一環でした。21年後半に小誌編集部に相談があり、22年いっぱいの残された時間を使って、収録が進められました。
盟友の鈴木正文氏を聞き手として、坂本氏の口からは、横で聞きながら「そこまで明かしていいの?」と心配になってしまうほど惜しげもなく、創作秘話や昔の出来事、闘病中の日々のことが語られました。各章とも、約5時間の充実したインタビューの内容を踏まえています。そして、編集部が構成した原稿には毎回、坂本氏みずから細かくチェックを入れてくれました。時には「自分が原稿を見られるのは、これで最後になるかもしれないから、もっと強い章タイトルにした方がいいのでは?」ということもおっしゃりながら――。
連載最終回が掲載された「新潮」の発売日は2023年1月7日、坂本氏がお亡くなりになったのは3月28日の未明でした。もちろん、もっともっと長生きして、続きを語ってほしかった。しかし一方では、ギリギリ間に合った、という思いもあります。
この稀代の音楽家の「最後の言葉」を、ぜひ多くの方に読んでもらえたら嬉しいです。
著者プロフィール
坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんは、1952年生まれ、東京都出身。3歳からピアノを、10歳から作曲を学ぶ。東京芸術大学大学院修士課程修了。1978年「千のナイフ」でソロデビュー。同年、細野晴臣さん、高橋幸宏さんと「YMO」を結成、1983年に散開後は「音楽図鑑」「BEAUTY」「async」「12」などを発表、常に革新的なサウンドを追求する姿勢は世界的評価を得続けている。
映画音楽では「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞音楽賞を、「ラストエンペラー」でアカデミー賞作曲賞、ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、グラミー賞映画・テレビ音楽賞など多数受賞。環境や平和問題への言及も多く、森林保全団体「more trees」の創設、また近年では「東北ユースオーケストラ」を設立し、被災地の子供たちの音楽活動を支援した。2009年、初の自伝『音楽は自由にする』を刊行。2023年3月28日逝去。
ぼくはあと何回、満月を見るだろう 坂本 龍一 (著) 命が尽きるその瞬間まで、新たな曲を作りたい。 自らに残された時間を悟り、教授は語り始めた。 |
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