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無意味・無駄・無価値・役立たずでも生きていい! 池田清彦さん『人生に「意味」なんかいらない』が刊行

池田清彦さんが現代人を呪縛する「人生指南」を生物学や科学哲学などの観点から喝破する『人生に「意味」なんかいらない』がフォレスト出版より刊行されました。

 

私たちを息苦しくさせる「意味を求める病」を手放す

人間は「私は何のために生きているのだろう」「私は何かに役に立つのだろうか」など、自分の生きる意味や役割について考えてしまう生き物です。

とくに、幼少の頃から「夢を叶えよう」「誰かの役に立つ人になろう」「一生懸命に働こう」などという甘言を浴びせられて生きてきた現代人だったらなおさらです。

 
なぜなら、こうした言葉は「夢を叶えず、誰かの役にも立たず、ろくに働かない人生は失敗」という呪いの言葉に容易に変換されてしまうからです。だから、必死に自分の人生の意味を探し、それが見つからないと絶望してしまう。さながら「意味を求める病」に罹ってるかのようです。

 
しかし、本書では「人生には意味があるべきだ」とかいった言説に普遍的だったり超越的だったりする価値はないと喝破します。

そのうえで、「人生に意味なんかなくてもいいじゃないか」「そもそも人生に意味なんてない」と主張し、「意味を求める病」を手放す生き方を提案します。

 
<生物学や科学哲学の観点から、「意味」にまつわるテーマを縦横に語り尽くす!>

◎そもそもなぜ人間は意味を求めるのか?
◎ミッドライフクライシス(中年期の精神的危機)の原因は「意味を求める病」?
◎意味を求めすぎると至ってしまう反出生主義やスピリチュアリティ
◎生物の形質にはすべて、環境に適応するためという意味があるのか?
◎なくても困らない陰毛や耳毛が存在する意味とは?
◎無意味・無駄・無価値・役立たずは本当に悪なのか?
◎なぜ人間は意味のわからないものを恐れるのか?…etc

 

本書の目次

私が「人生に意味はない」と考えたわけ――まえがきに代えて

第1章 人生に意味はなくても楽しく生きられる

第2章 資本主義思考と意味の呪縛

第3章 本当はたくさんある意味不明な生物の形質

第4章 「無意味」への恐怖を克服しよう

あとがき――意味などないけど楽しく生きよう

 

著者プロフィール

池田清彦(いけだ・きよひこ)さんは、1947年生まれ、東京都出身。生物学者、評論家、理学博士。

東京教育大学理学部生物学科卒業、東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学。山梨大学教育人間科学部教授、早稲田大学国際教養学部教授を経て、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、TAKAO599 MUSEUM名誉館長。

『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)、『環境問題のウソ』(ちくまプリマー新書)、『「現代優生学」の脅威』(インターナショナル新書)、『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)、『孤独という病』(宝島社新書)、『自己家畜化する日本人』(祥伝社新書)など著書多数。メルマガ「池田清彦のやせ我慢日記」、VoicyとYouTubeで「池田清彦の森羅万象」を配信中。

 

人生に「意味」なんかいらない
池田 清彦 (著)

私たちを息苦しくさせる「意味を求める病」を手放す
人間は「私は何のために生きているのだろう」「私は何かに役に立つのだろうか」など、自分の生きる意味や役割について考えてしまう生き物だ。
とくに、幼少の頃から「夢を叶えよう」「誰かの役に立つ人になろう」「一生懸命に働こう」などという甘言を浴びせられて生きてきた現代人だったらなおさらだ。
なぜなら、こうした言葉は「夢を叶えず、誰かの役にも立たず、ろくに働かない人生は失敗」という呪いの言葉に容易に変換されしまうからだ。
だから、必死に自分の人生の意味を探し、それが見つからないと絶望してしまう。
さながら「意味を求める病」に罹ってるかのようだ。
しかし、本書では「人生には意味があるべきだ」とかいった言説に普遍的だったり超越的だったりする価値はないと喝破する。
そのうえで、「人生に意味なんかなくてもいいじゃないか」「そもそも人生に意味なんてない」と主張し、「意味を求める病」を手放す生き方を提案する。

 


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