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【訃報】「コロボックル物語」の佐藤さとるさんが死去

「コロボックル物語」シリーズで知られ、日本のファンタジー小説の祖といわれた児童文学作家の佐藤さとる(さとう・さとる、本名:暁=さとる)さんが2月9日、心不全のため横浜市内の自宅で死去しました。88歳。神奈川県出身。家族葬を既に行っており、喪主は妻の愛子さん。

 
佐藤さとるさんは、横浜市職員、中学教員などを経て、1950年に故・いぬいとみこさんらと同人誌「豆の木」を創刊。1954年に実業之日本社に入社、編集者として働きながら創作活動を続け、1959年に小人の世界を描いた「コロボックル物語」シリーズの第1作となる『だれも知らない小さな国』を自費出版しました。
後に講談社から出版され、毎日出版文化賞、日本児童文学者協会新人賞、国際アンデルセン賞国内賞を受賞しています。

 
画家の村上勉さんとコンビを組んだ同シリーズ(全6作)は、日本の児童文学界にファンタジーを根づかせたなどとして、1988年に巌谷小波文芸賞を受賞。

なお、7作目を、小さいころからコロボックル物語の大ファンで、「佐藤さとるさんがいたから作家になった」と公言していた作家の有川浩さんが書き継いでいます。

 
「コロボックル物語」シリーズ以外でも、『わんぱく天国』『ジュンとひみつの友だち』などを刊行、1967年に『おばあさんのひこうき』で野間児童文芸賞を、『本朝奇談(にほんふしぎばなし)天狗童子』で赤い鳥文学賞を受賞しています。2010年には旭日小綬章を受章。

また、2016年には自伝小説『コロボックルに出会うまで』を刊行しています。

 

だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1 (講談社青い鳥文庫 18-1)
こぼしさまの話が伝わる小山は、ぼくのたいせつにしている、ひみつの場所だった。ある夏の日、ぼくはとうとう見た――小川を流れていく赤い運動ぐつの中で、小指ほどしかない小さな人たちが、ぼくに向かって、かわいい手をふっているのを!
日本ではじめての本格的ファンタジーの傑作。

 
コロボックルに出会うまで 自伝小説 サットルと『豆の木』
戦後まもない時代、青年は新しい長編童話を志し、やがて、日本を代表する児童文学作家となった。現代児童文学のはじまりの時代、創作と生活の日々をみずみずしくえがいた佐藤さとるの自伝小説。

学生時代から童話を書きはじめた主人公は、児童文学者 後藤楢根の紹介で長崎源之助と出会い、ふたりで『玉虫の厨子の物語』で知られる平塚武二に会いに行く。創作への気持ちをおおいに励まされたふたりは、平塚に師事することになり、そのすすめで、いぬいとみこや神戸淳吉らと、同人誌『豆の木』を創刊する。

同人誌『豆の木』にあつまった仲間たちは、のちに『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる)や『木かげの家の小人たち』(いぬいとみこ)など、それまで日本になかった新しい児童文学を著すことになった。

童話『ふしぎな塔のものがたり』、『てのひら島はどこにある』のもとになった短編『てのひら島の物語』『井戸のある谷間』を収録。

【出版社からのコメント】
「もし書きたいと思っているテーマがあったら、決して離してはいけません。しっかりつかまえていて、作品にしなければなりません。あきらめたらおしまいです」
これは、作中にでてくる平塚武二さんの言葉です。
この言葉にはげまされた主人公たちは、やがて、日本の戦後の児童文学を代表する作家となっていきます。

作品の誕生秘話を知って佐藤さとる作品をより楽しみたい方や、児童文学に関心がある方にはもちろんおすすめですが、風変わりな師弟ものでもあり、仲間たちと志にむかって努力する青春ものでもあり、じつはボーイミーツガールものでもある本作、多くの人に読んでもらえたらと思います。

 
【関連】
コロボックル物語特設ページ|講談社文庫|講談社BOOK倶楽部

 


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