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安部公房の死後、フロッピーディスクから見つかった遺作『飛ぶ男』が刊行

新潮社は、安部公房生誕100年に当たる3月を期に、その遺作である『飛ぶ男』を新潮文庫より刊行します。

1994年に刊行された『飛ぶ男』(単行本/新潮社)は安部公房の死後、長年寄り添った真知夫人が原稿に手を入れたバージョンでした。今回の文庫版では、フロッピーディスクに遺されていた元原稿(安部公房全集029に収録されているものと同じ)を底本として、安部公房自身による完全オリジナルバージョンとして刊行します。

新潮社より文庫新刊が発売されるのは、1995年『カンガルー・ノート』以来、約30年ぶりのことです。ノーベル文学賞受賞寸前であったといわれる安部公房の遺作にして未完の絶筆が、ついに2月28日(水)発売となります。

 

フロッピーディスクから見つかった原稿

安部公房は1924年3月7日に生まれ、今年生誕100年を迎えます。

 
『飛ぶ男』は安部公房が1993年に急性心不全で急逝した後、愛用していたワープロのフロッピーディスクの中から発見された未完の絶筆です。その黒のフロッピーディスクには安部公房独特の筆跡で「飛ぶ男」と書かれており、その下にひし形で囲った「23」という番号が振られています。

遺作がデータとして残されていたというのは、安部公房が日本文学史上初のことだと言われており、まさにワープロを日本の作家で初めて取り入れ、また日本最初期のシンセサイザーユーザーでもあった、未来志向のメカ好きだった安部公房ならではのエピソードと言えます。

見つかったフロッピーディスク(撮影:安部公房)

見つかったフロッピーディスク(撮影:安部公房)

 

9つの『飛ぶ男』

イ・チョンヒさんの研究(李貞煕(1997)、変貌するテキスト・『飛ぶ男』考、國文學:解釈と教材の研究、42、86~92)によると、安部公房が晩年暮らしていた箱根の別荘にあったフロッピーディスクやワープロ原稿などを整理したところ、『飛ぶ男』の「創作MEMO」・内容の異なるワープロ原稿・ワープロ原稿の著者手入れ稿など、本作『飛ぶ男』に先立つ原稿は全部で9種類あったといわれています。

 
推敲に推敲を重ねていた『飛ぶ男』。その苦闘のあとを、同時代の作家はこう読み取っています。故・辻井喬さんは「この書き出しが決まるまでに、おそらく数年はかかっていますね。」と分析。

故・大江健三郎さんは「安部さんのなかに明確な意識があるために、かえって、それを小説化するためにどのような苦心があったか、よくわかります。具体的に書き留める困難にぶつかっては止め、ぶつかっては止め、また進む。その小説的な営みが滲み出ています。」と指摘しています。
(「新潮」1994年4月号より)

1972年12月11日 新潮社にて(撮影:新潮社)

1972年12月11日 新潮社にて(撮影:新潮社)

 

「きみ、飛びたいと思ったことない?」

安部公房自身も生前に本作について「ぼくの小説で繰り返し必ず出てくるものに、空中遊泳とか空中飛翔がある。今度は冒頭から空を飛んでる男のシーンだ。それも携帯電話を持って話してるところから始まる。ものすごく空想的だけど猛烈にリアル」と話しています。

 
またある時、安部公房は真知夫人にこう聞いたといいます――。

「きみ、飛びたいと思ったことない?」
夫人が「そんなこと思ったことないわ」と答えると、
「へぇ、飛びたくない人がいるのかね……。」
(朝日新聞、1993年2月13日、朝刊、31頁)

 
壮大な長編になるはずであった本作は、400字詰め換算で162枚分が書かれた状態で発見されました。まさしく男が空中を浮遊しながら携帯電話で誰かと話している場面から始まる本作は、完成していれば安部公房の新たな代表作になる予感を感じさせる、知的で不条理でアヴァンギャルドな安部文学そのもののオープニングとなっています。

「飛ぶ男」と中学教師、男性不信の女、発射された2発の銃弾、曲げられたスプーン、妙な収集物で満ちた部屋。この物語は一体どこに向かっていくはずだったのか……。世界文学の最先端であり続けた作家が遺した最後の物語を、是非体感してみてください。

 
【あらすじ】

ある夏の朝。時速2、3キロで滑空する物体がいた。《飛ぶ男》の出現である。目撃者は3人。暴力団の男、男性不信の女、とある中学教師……。突如発射された2発の銃弾は、飛ぶ男と中学教師を強く結び付け、奇妙な部屋へと女を誘う。世界文学の最先端として存在し続けた作家が、最期に創造した不条理な世界とは――。表題作のほか「新潮」で連載が始まった「さまざまな父」を収録。

 

「安部公房生誕100年フェア」企画進行中!

安部公房と関わりの深かった新潮社は「安部公房生誕100年フェア」と称して、生誕100年を盛り上げる様々な企画を展開する予定です。

 
その一つとして『飛ぶ男』の文庫新刊を発売します。他にも「新潮」3月号(2月7日(水)発売)や、「芸術新潮」3月号(2月25日(日)発売)、「波」3月号(2月27日(火)発売)で安部公房特集を組むなどの他、生誕100年に向け、他にも隠し玉を予定しています。

 

著者プロフィール

安部公房(あべ・こうぼう/1924-1993)は、東京出身。東京大学医学部卒業。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。

1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。2012年、読売新聞の取材により、ノーベル文学賞受賞寸前だったことが明らかにされた。

 

飛ぶ男
安部 公房 (著)

安部公房生誕100年記念、約30年ぶりの文庫新刊!
死後、フロッピーディスクに遺されていた原稿が待望の文庫化! 鬼才が創造した最期の世界とは。

《飛ぶ男》の出現。目撃者は3人。暴力団の男、男性不信の女、そしてとある中学教師……。突然の電話、窓の外に浮かぶ不可解な物体、2発の銃弾、女の来訪、妙な収集癖で満ちた部屋。安部公房が最後に創造した、不条理にしてユーモラスな世界とは。死後フロッピーディスクから見つかった遺作が待望の文庫化。本作に繋がる「さまざまな父」を収録。

本文より
 ある夏の朝、たぶん四時五分ごろ、氷雨本町二丁目四番地の上空を人間そっくりの物体が南西方向に滑走していった。月明かりを背にした輪郭から判断したところでは、フイルム会社が宣伝用に飛ばしている新型の気球らしくもある。時速二、三キロ。しかし目が慣れるにつれて、首を傾げざるをえない。ガスを詰めただけの浮遊物体に、あんなレールに乗ったような直線飛行が可能だろうか? どう見ても意思を持った自力走行である。(中略)
 どうやら《飛ぶ男》の出現に立ち会ってしまったようである。

 


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