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『世界は贈与でできている』から4年、近内悠太さん『利他・ケア・傷の倫理学』が刊行

前著『世界は贈与でできている』から4年ぶりの書き下ろしとなる、教育者/哲学研究者・近内悠太さん著『利他・ケア・傷の倫理学 ――「私」を生き直すための哲学』が晶文社より刊行されました。

 

人と出会い直し、つながりを結び直すために――「大切にしているもの」をめぐる哲学論考

本書は、2020年に「第29回山本七平賞」で奨励賞を受賞した『世界は贈与でできている』(紀伊國屋じんぶん大賞2021 第5位/読者が選ぶビジネス書グランプリ2021 リベラルアーツ部門 第4位)で注目される教育者・哲学者の第二著作です。

3月27日に発売され、好評につき発売翌日に増刷が決定し、4月8日に重版出来となっています。

 
<著者からのメッセージ(重版によせて)>

「受け取る」というテーマを論じた前著が出た後、「与える」ためにはどうしたらいいのか? と聞かれることが多くありました。 自己犠牲にならない利他やケアは可能である。そんな理路を書いた本です。 多くの人に読んでいただけたらと思います。

 
【本書の内容】

なぜ、あなたの善意は空回りするのか?
なぜ、僕らの「与えたい」という思いはいつも滑稽な一人相撲になってしまうのか?
どうして他者にやさしさを上手に手渡すことができないのか?

大切にしているものが一人ひとりズレる社会で、善意を空転させることもなく、人を傷つけることもなく、生きていくにはどうしたらよいのか?

人と出会い直し、つながりを結び直すために。「利他」とは何か、「ケア」の本質とは何かについての哲学論考。

 

本書の構成

まえがき──独りよがりな善意の空回りという問題

第1章 多様性の時代におけるケアの必然性

第2章 利他とケア

第3章 不合理であるからこそ信じる

第4章 心は隠されている?

第5章 大切なものは「箱の中」には入っていない

第6章 言語ゲームと「だったことになる」という形式

第7章 利他とは、相手を変えようとするのではなく、自分が変わること

第8章 有機体と、傷という運命

終章 新しい劇の始まりを待つ、祈る

 

著者プロフィール

近内悠太(ちかうち・ゆうた)さんは、教育者、哲学研究者。統合型学習塾「知窓学舎」講師。

著書『世界は贈与でできている』(NewsPicksパブリッシング)で第29回山本七平賞・奨励賞を受賞。

★公式サイト:https://www.chikauchi.jp

 

利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学 (犀の教室 Liberal Arts Lab)
近内悠太 (著)

「訂正可能性の哲学」がケアの哲学だったことを、本書を読んで知った。
ケアとは、あらゆる関係のたえざる訂正のことなのだ。
──東浩紀

「僕たちは、ケア抜きには生きていけなくなった種である」
多様性の時代となり、大切にしているものが一人ひとりズレる社会で、善意を空転させることもなく、人を傷つけることもなく、生きていくにはどうしたらいいのか? 人と出会い直し、歩み直し、関係を結び直すための、利他とは何か、ケアの本質とは何かについての哲学的考察。
進化生物学、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」、スラヴォイ・ジジェクの哲学、宇沢弘文の社会的費用論、さらには遠藤周作、深沢七郎、サン=テグジュペリ、村上春樹などの文学作品をもとに考察する、書きおろしケア論。『楢山節考』はセルフケアの物語だった!

「大切なものはどこにあるのか? と問えば、その人の心の中あるいは記憶の中という、外部の人間からはアクセスできない「箱」の中に入っている、というのが僕らの常識的描像と言えるでしょう。/ですが、これは本当なのでしょうか?/むしろ、僕らが素朴に抱いている「心という描像」あるいは「心のイメージ」のほうが間違っているという可能性は?/この本では哲学者ウィトゲンシュタインが提示した議論、比喩、アナロジーを援用してその方向性を語っていきます。」(まえがきより)

 


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