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18年前に死去した父は、実は「特攻隊員」だった――『生きのこる 陸軍特攻飛行隊のリアル』が刊行

18年前に死去した父は、実は「特攻隊員」だった――遺品整理の最中に発覚した衝撃の事実に突き動かされ、その足跡を辿った息子の手記『生きのこる 陸軍特攻飛行隊のリアル』が幻冬舎より刊行されました。戦争という過ちを繰り返さないため、私たちが心に刻むべき言葉の数々が散りばめられている一冊です。

 

陸軍特攻隊のリアル! 戦後を生きる私たちが直視すべきファミリーヒストリー

昭和20年8月、沖縄アメリカ艦隊に突入予定だった父
戦後一切を語らず母の手記だけが遺違った・・・・・・
息子は父の「死ぬための操縦訓練」の足跡を追い始め、78年前の真実に辿りつく

 
きっかけは父の遺品に記された「特攻隊」の文字とその横に父の本名を見つけたことでした。著者の山本一清さんはその事実に衝撃を受けます。

 
それもそのはず。生前父からは「戦争には行っていない」と戦時中の話は一切聞かされず、母にさえその事実は秘されていたからでした。

 
その後、山本さんは父の経歴書にある違和感を抱きます。詳細に記されたその経歴には戦時中の部分のみ、2行しか記述がなかったのです。

 
昭和18年10月1日 仙台陸軍飛行学校入校
昭和20年8月18日 召集解除ヲ命ゼラル

 
「空白の2年」に何をしていたのだろうか。山本さんはこの疑問を探るため、猛烈に調べはじめました。

そこで浮き彫りになったのは、特攻隊に任ぜられた事実、そのために「死ぬための操縦訓練」とも言うべき日々、役割を受け止めながらも「生き残る」と決意した覚悟……。

 
足跡を追い求め78年前の真実に辿りついた感動のノンフィクションです。

本書の帯には直木賞作家、安部龍太郎さんから寄せられた推薦文も記載。

「生と死は限りなく近い。
戦争の中でも人は愛し、前を向く感涙のノンフィクション
――安部龍太郎さん

 

著者プロフィール

著者の山本一清さんは、1949年生まれ、北海道静内郡静内町(現日高郡新ひだか町)出身。1971年、東海大学工学部原子力学科卒業。同年兵庫県のプラント会社に入社、設計部に勤務。同社勤務中に大阪工業技術専門学校II部建築学科に通学。1986年、一級建築士免許取得。以後、建築士事務所を経営、現在に至る。

 

生きのこる 陸軍特攻飛行隊のリアル
山本 一清。 (著)

戦時中の出来事をたった二行の言葉に封印してしまった父の経歴書。
父との出会いから丁寧に綴った母の手記。
彼らは戦中戦後の時代をどのように生きたのか。

父山本琢郎が亡くなり、母洋子が整理した父の遺品を私に渡してくれた。その中に父が書いた経歴書があった。役人であった父の経歴は実に細かく記述されていて、俸給級数まで記載されたものだった。しかし、その経歴書の中で戦時中の部分だけは、
昭和十八年十月一日 仙台陸軍飛行学校入校
昭和二十年八月十八日 召集解除ヲ命ゼラル
と、たったの二行だけだった。
父は、戦時中どう生きたかを、その二行に封印してしまったのである。
私はその二行の行間をなんとか読み解こうと思った。というのも、その遺品の中に「振武特別攻撃隊 天翔隊 陸軍少尉 山本?郎」と書かれたシルクのマフラーがあったのである。父は陸軍少尉で、しかも、いわゆる「特攻隊」だったのか……。生前、母も含めて家族全員、父から戦時中の話は一切聞いたことがなかった。
私は猛烈に調べ始めた。
遺品の中には父の闘病中、看病をする傍ら母が書いた戦中戦後の様子を丁寧に綴った手記も入っていた。二人の若者はあの時代をどう生きたのか……。
母の手記は、将校姿の父と出会った経緯から書き始められていた。

 


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