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広島で被爆死した12人の米兵、その遺族を探した日本人の物語『原爆の悲劇に国境はない』が刊行

2016年、アメリカ大統領として初の広島訪問を果たしたバラク・オバマ氏との抱擁で知られる森重昭氏(86歳)が語り下ろしたノンフィクション『原爆の悲劇に国境はない 被爆者・森 重昭 調査と慰霊の半生』(語り:森重昭氏、森佳代子氏/編:副島英樹氏)が朝日新聞出版より刊行されました。

森氏は、8歳のとき被爆。爆風で川の中へ吹き飛ばされ、「黒い雨」を浴びながらも九死に一生を得ました。その後、原爆投下時、米兵捕虜12人が被爆死した事実を突き止めた森氏は、2億人の米国人の中から12人の被爆米兵、すべての遺族を探し出します。14年間手紙を出し続け、15年目に返事が来た人もいます。その行動を支えたのは「米兵は敵じゃなくて人間と思った。あの人たちにも親、きょうだい、子どもがおり、その人たちが心配しているだろうと思った。情報を何も知らされていないのだから、私が知っている情報を教えよう」、その情熱だけでした。泥沼化するウクライナ戦争でプーチン大統領が核使用をほのめかす中、妻・佳代子氏(80歳)と慰霊に捧げた半生を語り尽くした一冊です。

 

オバマ元大統領の心を揺さぶった執念のノンフィクション『原爆の悲劇に国境はない』

長期化するウクライナ戦争でプーチン大統領が「ロシアは核大国だ」と恫喝したのに対し、2016年、アメリカ大統領として初めて広島訪問したオバマ氏との抱擁で一躍世界的に知られた森重昭さんは、核兵器の恐ろしさを忘れてはならないと強く警鐘を鳴らします。

 
2021年には核廃絶の活動を続けてきた坪井直(すなお)さんが96歳で亡くなるなど、直接被爆者は年々減っています。8歳で被爆し、現在86歳の森氏はサラリーマンとして働きながら、日曜、祝日には民間歴史家として広島原爆投下についての調査を長年行ってきました。

 
調査の中で森氏は、1945年8月6日、広島にいた米兵捕虜12人が被爆死したという事実をつかみます。その中の1人は、済美(せいび)国民学校の校庭で被爆死。日本人の小さな遺体が積み上げられる中、大きな白人の遺体があったといいます。その遺族を探し出し交流を続け、慰霊に半生を捧げたのは、森氏が自分も被爆した一人として「敵も味方もない」との一心からでした。

 
この話がきっかけとなり、オバマ氏の広島来訪と森氏の式典招待につながりました。森氏の招待には当時の駐日大使キャロライン・ケネディ氏の存在も大きかったといいます。アメリカ側のさまざまな意見を押し切って、大統領に進言されたことが明かされます。そして、2022年にも「コロナで大変でしょうけども頑張ってください」とのメールがケネディ氏から送られるなど交流は続いています。

 
森氏と妻の佳代子さんが語り下ろしたノンフィクション『原爆の悲劇に国境はない 被爆者・森 重昭 調査と慰霊の半生』で、「プーチン大統領は核兵器の恐ろしさを知らないと思います」と話す森氏の語りは、人類を滅亡させる核兵器に対する認識や想像力の欠如への怒りと、二度と使わせてはならないとの思いに満ちています。

 
佳代子氏の父、増村明一(めいいち)氏(元広島市議)は、原爆手帳交付のために尽力し、原爆医療法(被爆者援護法の前身)が国会を通過するために貢献した人物でもあります。エリザベト音楽大学声楽科を出た佳代子氏も被爆者。毎年8月6日には世界平和記念聖堂でフォーレの「レクイエム」(鎮魂歌)を歌ってきました。二人三脚の活動は「原爆をどう伝えるか」というテーマに新たな視点を与えてくれます。被爆者の高齢化が進み当事者の証言を聞くことができなくなってしまう前に、また、ウクライナ侵攻で再び「核の脅威」が高まる時代に、核廃絶への思いを語りかけるように伝える一冊です。

 

本書の構成

プロローグ

第1章 8歳で見た地獄絵図

第2章 執念の調査

第3章 オバマ大統領広島訪問

第4章 慰霊の半生

第5章 戦争の傷は続いていく

第6章 二人三脚――妻・佳代子氏の思い

エピローグ

解説に代えて

付録 バラク・オバマ米大統領による演説

 

原爆の悲劇に国境はない 被爆者・森 重昭 調査と慰霊の半生
森 重昭 (語り), 副島 英樹 (編集)

2016年米大統領として初の広島訪問を果たしたオバマ氏との抱擁で知られる森重昭氏は8歳で被爆。一命を取り留めた。会社勤めをしながら、原爆投下時、米兵捕虜12人が被爆死した事実を知り、その遺族を突き止めた。核の前に「敵も味方もない」との一心から遺族探しと慰霊に捧げた半生を妻・佳代子氏とともに語り尽くす。

 


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