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アンナ・ポリトコフスカヤが殺されたのはプーチンの誕生日だった――いまプーチンが最も世界に“読まれてほしくない”一冊『母、アンナ ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生』が刊行

『母、アンナ ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生』がNHK出版より刊行されました。

ロシアの闇を明るみに出すべく、プーチン政権を怯むことなく批判し、不正を告発しつづけたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ。アンナが自宅アパートで殺害されると、その姿はたちまち「言論の自由の象徴」となりました。彼女が娘にしか見せなかった母の顔、常に弱者の側についてペンで戦う強い意志……母亡きいま、ウクライナに侵攻したロシアで再び家族の身に危険が迫ったことを感じ、国外へ移り住むことを余儀なくされた娘が、その目で見たロシア社会の現実とは――。

 

不正を告発し続けた、ひとりの女性の素顔と信念を語る、唯一無二の物語

本書は、世界的に最も著名なロシア人ジャーナリストのひとり、アンナ・ポリトコフスカヤの娘ヴェーラによる臨場感あふれる手記です。

 
母アンナは、2006年10月7日、プーチンの誕生日にモスクワの中心部にある自宅アパートで殺害されました。その時ヴェーラは26歳で妊娠していました。

母の死後に生まれた娘に「アンナ」と名づけ、15年が経過した2022年2月。ロシアによるウクライナ侵攻が始まると、ポリトコフスカヤという名字はふたたび殺害の脅迫の対象となり、ヴェーラは家族とともに行先を伏せて国外へ移り住むことを余儀なくされます。

 
彼女が本書の執筆を決意したのは、母アンナがその腕に抱くことの叶わなかった孫である自身の娘、そして全世界の人びとの記憶に、母の物語を刻みたかったからです。ウラジーミル・プーチンの政治を歯に衣着せずに批判し、人々を脅かす「大ロシア帝国」構想の立役者となった元KGB将校によってロシアでおこなわれてきた人権侵害を怯むことなく告発した、ひとりの女性の唯一無二の物語を――。

アンナとヴェーラ。2005年7月、モスクワにて。

アンナとヴェーラ。2005年7月、モスクワにて。

本書は、「ある母」の物語です。ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤは、二人の子をもつ母であると同時に、プーチン政権に虐げられたチェチェンの人びとの精神的母親でした。そして本書の著者・ヴェーラもまた、アンナの娘であると共に、娘の命を護るために故国ロシアを脱出したひとりの母親です。

 
「わたしの国においては、自由は少数の人にしか許されない贅沢品なのだ」と、ヴェーラは言います。言論の自由のない国で“生きる”とはどういうことなのか? ひとりの女性の生き方の中に、世代や性別を問わず様々な方が自身の生き方を顧みることができる一冊です。

 

本書解説より(一部抜粋)

本書は、家族による伝記にとどまらず、二〇二二年二月に始まったロシアによるウクライナ軍事侵攻後のロシア社会の空気を映す記録となっている。母と同じジャーナリストの道を歩んだ娘ヴェーラ本人の考察も一読に値する。

プーチンやウクライナ侵攻についての論考は星の数ほどあるが、本書は、ポリトコフスカヤをもっとも身近に知る者の視点で体験を綴り事象を見つめたもので、異彩を放っている。

 
本書の内容や主張に、プーチン政権やその支持者、つまり体制側はおそらく冷ややかな視線を向けるに違いない。

果たしてロシアに希望はあるのか。

(アンナの所属していた「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙の編集長)ムラートフはノーベル平和賞の受賞が決まった際、なぜジャーナリストが危険を冒してでも報道に取り組むのかと問われて、「世の中を少しでもよくしたいという思いからではないか」と述べた。ノーベル賞委員会がジャーナリストに平和賞を贈ったのは、報道の自由こそが民主主義、ひいては平和につながるという考えからだ。

本書も、ロシアの絶望的な言論状況に一筋の光を灯し、世の中をよくし、民主主義や平和につながると信じたい。

夕日を背にしたアンナ。ウィーンにて。

夕日を背にしたアンナ。ウィーンにて。

 

本書の目次

プロローグ 哀惜の響き
第一章 眠らない目
第二章 父
第三章 クーデター
第四章 プーチンの王国
第五章 報道と検閲
第六章 母なら「戦争」と呼んだだろう
第七章 貧しき者たちの戦争
第八章 脱出
第九章 約束
第十章 二度とこんなことが起こりませんように
第十一章 モスクワの錯乱者
第十二章 わたしもあの中にいたかもしれない
第十三章 兄妹で記憶をたぐりよせて
第十四章 プーチンの毒薬
第十五章 幸せはココナッツチョコレート
第十六章 マーティンとファン・ゴッホ
第十七章 襲撃
第十八章 徒労
第十九章 最後の取材
第二十章 自由の国の亡霊
第二十一章 家が燃え、橋が焼け落ちる

解説 安間英夫(NHK解説委員)

訳者あとがき

 

著者プロフィール

 
■ヴェーラ・ポリトコフスカヤ(Vera Politkovskaja)さん

1980年生まれ。ジャーナリスト、放送作家。2006年10月7日、世界的に著名なジャーナリストであった母、アンナ・ポリトコフスカヤが何者かに殺害されたとき、ヴェーラは26歳だった。ロシアがウクライナに侵攻したときまではモスクワに暮らしていたが、その頃から身の危険を感じはじめ、家族とともに安全な国外に脱出した。

 
■サーラ・ジュディチェ(Sara Giudice)さん

1986年生まれ。ジャーナリスト。2015年からイタリアの民放テレビ局〈ラ・セッテ〉の報道番組「ピアッツァプリータ」の特派員。2020年、バルカン半島の移民ルートを取材し、マルコ・ルケッタ賞を受賞。

 
■訳:関口英子(せきぐち・えいこ)さん

イタリア文学翻訳家。大阪外国語大学イタリア語学科卒業。訳書に、パオロ・コニェッティ『帰れない山』、カルミネ・アバーテ『海と山のオムレツ』(以上、新潮社クレスト・ブックス)、アルベルト・モラヴィア『同調者』、プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』(以上、光文社古典新訳文庫)、イタロ・カルヴィーノ『最後に鴉がやってくる』(国書刊行会)など多数。『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』(光文社古典新訳文庫)で第一回須賀敦子翻訳賞受賞。

 
■訳:森敦子(もり・あつこ)さん

イタリア語翻訳家。東京外国語大学イタリア語専攻卒業。訳書に、アリアンナ・ファリネッリ『なぜではなく、どんなふうに』(東京創元社、共訳)、ピエルドメニコ・バッカラリオ他『だれが歴史を書いてるの? 歴史をめぐる15の疑問』(太郎次郎社エディタス)などがある。

 

母、アンナ: ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生
ヴェーラ・ポリトコフスカヤ (著), サーラ・ジュディチェ (著), 関口 英子 (翻訳), 森 敦子 (翻訳)

いまプーチンが、最も世界に読まれてほしくない本!

アンナ・ポリトコフスカヤ。彼女が殺されたのはプーチンの誕生日だった。
娘は語る。「わたしの母は、ロシア当局にとってのみならず、一般の人たちにとっても、つねに居心地の悪さを感じさせる人だった。兵士や犯罪組織、そして戦争という『肉挽き機』に巻きこまれた一般市民について、残酷な真実をありのままに報じ、苦悩や流血、死、ばらばらになった肉体、打ち砕かれた希望を文字にした」
ロシアを代表するリベラル紙「ノーヴァヤ・ガゼータ」の記者アンナ・ポリトコフスカヤは、死の間際まで、第二次チェチェン戦争や、プーチン政権下のロシアにおける汚職や犯罪、「沈黙の掟」についてペンを執りつづけた。2006年10月7日、アンナがモスクワの中心部にある自宅アパートで殺害されると、その姿はたちまち言論の自由の象徴となった。
当時二十六歳だった娘のヴェーラは、その日以降、兄のイリヤーとともに、正義のために戦ってきた。そして、ロシアの司法機関の緩慢や杜撰、矛盾する情報やあまりに理不尽な憶測といった問題を、身をもって経験してきた。それでも彼女は、母アンナの遺した教訓を人々の記憶にとどめるために戦いつづけてきた。「勇敢でありなさい。そしてすべての物事を然るべき名前で呼ぶのです。独裁者は独裁者と」
ロシアによるウクライナ侵攻が始まると、ポリトコフスカヤという名字はふたたび殺害の脅迫の対象となり、ヴェーラは家族とともに、行先を伏せて国外へ移り住むことを余儀なくされた。彼女が本書の執筆を決意したのは、母アンナがその腕に抱くことの叶わなかった孫である自身の娘、そして全世界の人びとの記憶に、母の物語を刻みたかったからだ。ウラジーミル・プーチンの政治を歯に衣着せずに批判し、人々を脅かす「大ロシア帝国」構想の立役者となった元KGB将校によってロシアでおこなわれてきた人権侵害を怯むことなく告発した、ひとりの女性の唯一無二の物語を。

 


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