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SINCE 1991

多数が「見て見ぬふり」する中、ユダヤ人に手を差し伸べた人びとの記録『沈黙の勇者たち』が刊行

筑波大学教授・岡典子さんによる学芸ノンフィクション『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』が新潮選書より刊行されました。

 

ナチス時代ドイツ“潜伏ユダヤ人”の奇跡! ドイツ国内に潜伏したユダヤ人5000人が生き延びた裏には、農場主や娼婦など名もなき人びとによる驚きの救援活動があった

 
◆ドイツ国内に取り残された約1万人の“潜伏ユダヤ人”のうち、半数の5000人が生き延びたのはなぜか?

ナチスがユダヤ人迫害政策を始めてから10年が経過した1943年6月、宣伝相ゲッベルスは「ベルリン(=ドイツ国内)からユダヤ人が一掃された」と宣言しました。しかし実際には、収容所への移送を逃れるために潜伏生活に入ったユダヤ人たちが国内にたくさん残っていました。その数はドイツ全土で1万人から1万2000人。そのうち、およそ半数に近い5000人が生きて終戦を迎えています。

潜伏者の2人に1人が生き延びたことは、当時の状況から考えて驚異的です。なぜ、それが可能だったのでしょうか?
ゲシュタポ(秘密国家警察)が監視の目を光らせるドイツで、ユダヤ人が自分の力だけで生き延びることはとうてい不可能です。つまり、彼らのために隠れ場所を提供し、食べ物や衣服を与え、身分証明書を偽造し、あらゆる非合法手段を講じて匿った“誰か”がいたからこそ、彼らは生き延びることが出来たことになります。その“誰か”とは、ドイツ人の救援者たちでした。

 
◆ごく平凡な「普通の人びと」だった、ドイツの「沈黙の勇者」たち

ユダヤ人に手を貸した人びとの正確な人数は今なお不明ですが、これまでの研究を通じて、少なくとも2万人を超えるドイツ市民がこうした行動に関与したと考えられています。今日のドイツで、彼らは「沈黙の勇者」と呼ばれています。

ユダヤ人救援にかかわった「沈黙の勇者」たちは、その多くがごく平凡な「普通の人びと」でした。男性・女性問わず、職業もさまざまで、医師、教師、聖職者、工場労働者や小売店主、農夫もいれば、主婦、娼婦もいました。老人や子ども、そして自らもナチスによる迫害の対象であった障害者さえいました。彼らはかならずしも特段の教養や思想を持ち合わせていたわけでも、日ごろから人格者と評されていたわけでもありませんでした。

しかし、圧倒的多数のドイツ国民がユダヤ人迫害に加担し、「見て見ぬふり」に終始する時代にあって、彼らは自身や家族が密告され、自らも収容所送りや処刑になる危険に身をさらしてまで、ユダヤ人に手を差し伸べたのです。

 
◆現代ドイツで教えられる「市民的勇気」とは、「見て見ぬふりをしない勇気」

ドイツでは現在、政治教育・市民性教育の分野で「市民的勇気(Zivilcourage)」という言葉がさかんに使われています。ナチス時代を繰り返さないために何が必要かが議論される中で生まれた言葉で、一部の人の「声をあげ、抵抗する勇気」だけでなく、誰もが「日常生活のなかで不正、不当、暴力を目の当たりにした時に傍観しない勇気」を持つことが必要だとする考え方です。ごく普通の人びとだった「沈黙の勇者」たちの行動は、「市民的勇気」の象徴として学校・社会教育の重要な事例となっています。

 
◆「救う側」と「救われる側」の双方の視点から描かれる、極限状況のドラマ

では、「沈黙の勇者」たちはどのような方法でユダヤ人を助けたのでしょうか。そして当の潜伏ユダヤ人たちは、いかにして生きるための闘いを続けたのでしょうか?

本書は、実際に行われた救援活動の詳細、そして“救う側”である救援者と“救われる側”である潜伏ユダヤ人双方の心情を丁寧に描きだしながら、現代を生きる私たちが自身の思考と行動を顧みるための視点を提示する一冊です。

 
【本文より】

地下鉄の車内で五歳のクラウスはお腹が空いた、お腹が空いたと泣き続けた。息子を抱き寄せてなだめようとしたとき、イルゼは洋服のポケットに何か押し込まれるのを感じた。そっとポケットに手をやると、包装紙に包んだサンドウィッチが入っていた。驚いて周囲を見わたすと、ひとりの老女が涙ぐんだ目でイルゼとクラウスを見ていた。イルゼと目が合った瞬間、彼女は痛ましいものを見るように少し微笑んだ。

 

ホロコースト研究者から推薦コメントも! 「新しい戦前」に必読の一冊

ナチスによるユダヤ人絶滅政策についてまとめた『ホロコースト』(中公新書)や最新研究の成果を取り入れた『ヒトラー――虚像の独裁者』(岩波新書)の著者・芝健介さん(ドイツ現代史研究者)は、本書の帯にこのようなコメントを寄せています。

 
――「新しい戦前」と言われる今こそ、多くの日本人に読んで欲しい。

 
ロシアのウクライナ侵攻をめぐって世界情勢が大きく変化し、日本でも「新しい戦前」という言葉に代表されるように戦争の危機を多くの人が実感している現在。あらためて、第二次大戦時のドイツで起きた“奇跡の史実”を明かす本書から、追い詰められた状況下で人間にどのようなことができるのか、考えるきっかけとしてみてはいかがでしょうか。

 

著者コメント

社会は余裕を失うにつれて、簡単に全体主義へと傾斜します。ナチス時代のドイツはその極致でしたが、こうした状況はいつの時代にも、どの国や集団でも起こり得ることです。ユダヤ人を救った幾多のドイツ市民は、圧倒的多数がナチスを信奉した全体主義の時代において、少数者であることを貫こうとした人びとでした。

 
「極限状況におかれたとき、人としていかに決断し、行動するのか」――経済格差の拡大、ポピュリズム政党の勢力拡大、難民・移民問題、テロと戦争等、さまざまな問題に揺れる現代ドイツにあって、ユダヤ人の絶望的状況を見て見ぬふりせず手を差し伸べた「沈黙の勇者たち」の存在は、この問いを追求し続けるための身近な手がかりとなっています。彼らの行動をいま振り返ることは、現代日本を生きるわたしたちにも示唆を与えてくれるはずです。

 
行動することを選択した救援者と、何があっても生きようとしたユダヤ人たち。名もなき人びとの生の記録は、いかなる局面におかれても自分自身であり続けることの大切さを示してくれると信じています。

 

本書の構成

はじめに

序章
あるユダヤ人一家の体験/迫害の三つの分岐点/国内に取り残されたユダヤ人/潜伏 etc.

第一章 出会い 1933-1943
1 分断
ユダヤ人ボイコット事件/沈黙させられた「善意」/ラルフ少年を守った尼僧院長の「親切」 etc.
2 差別から迫害へ
逮捕、収容、連行のはじまり/「水晶の夜」事件当日の「行動」/財産没収と国外追放/強制労働、第二次大戦 etc.
3 生きることを選んだ人びと
運命に身をゆだねることを拒む/絶対に収容所には行かない/子もち女性との結婚 etc.
4 救援者との出会い
あなたを助けたい/娼館の女主人と売春宿のおかあちゃん/善意か、契約か etc.

第二章 もうひとつの世界 1941-1944 (1)
1 ユダヤ人の「消えた」ドイツ
追放から殺戮へ/強制移送の開始とユダヤ人組織の関与/ドイツ人は知っていた/ユダヤ人の「一掃」 etc.
2 地下に生きる
潜伏生活の開始/出産から三日後の移動/ゲシュタポを振り切って/さまざまな隠れ家/生活物資と食料を分け与える/救援者との出会いの場となった闇市/偽造身分証明書/潜伏者の子どもたち/「ドイツ人」として働く/医療 etc.
3 救援者たち
ユダヤ人に手を貸した人びとは何者か/せめて誰かひとり救おう/大切な人を失ったかわりに/多様な動機 etc.
4 非常時下の日常
ナチス崩壊を信じて/命の誕生/家族と過ごす時間のために/青春の輝き/ドイツ人との助け合い etc.

第三章 連帯の力 1941―1944 (2)
1 救援者たちのネットワーク
見えざる手となった人びと/打ち明けるべきか、沈黙すべきか/さまざまな救援グループ etc.
2 二千キロの逃避行――クラカウアー夫妻
二百人に助けられた夫婦/流浪の始まり/危険な長距離列車での移動/救援者たちの役割分担 etc.
3 ユダヤ人による自助と救援――カウフマン・ネットワーク
国内最大級の救援ネットワーク/身分証明書偽造という「錬金術」/ユダヤ人による量産体制/ドイツ人による後方支援 etc.

第四章 守るべきもの 1943―1945
1 善意の代償
密告/囮/カウフマンの最期/カウフマン・ネットワークの壊滅/ユダヤ人捕まえ屋 etc.
2 命をかけて「否」と言う
戦局の悪化/発覚/収容所の変化/空襲下の脱走/覚醒/「否」行動 etc.
3 終戦
ダビデの星を身に着けて/僕らはふたたび自由になった

終章
それぞれの再出発/ユダヤ人救援活動が現代に示すもの/語り継がれる「沈黙の勇者たち」

おわりに

 

著者プロフィール

著者の岡典子(おか・のりこ)さんは、1965年生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。筑波大学大学院一貫制博士課程心身障害学研究科単位修得退学。博士(心身障害学)。福岡教育大学講師、東京学芸大学准教授などを経て、筑波大学人間系教授。専門は障害者教育史。

著書に『視覚障害者の自立と音楽 アメリカ盲学校音楽教育成立史』(風間書房)、『ナチスに抗った障害者 盲人オットー・ヴァイトのユダヤ人救援』(明石書店)。

 

沈黙の勇者たち: ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い (新潮選書)
岡 典子 (著)

潜伏ユダヤ人とドイツ市民の〈知られざる共闘〉を描く。

ナチスが1943年6月に「ユダヤ人一掃」を宣言した時点で、ドイツ国内に取り残されたユダヤ人はおよそ1万人。収容所送りを逃れて潜伏した彼らのうち、約半数の5000人が生きて終戦を迎えられたのはなぜか。反ナチ抵抗組織だけでなく、娼婦や農場主といった無名のドイツ市民による救援活動の驚くべき実態を描き出す。

 
【関連】
試し読み | 岡典子 『沈黙の勇者たち―ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い―』 | 新潮社

 


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