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世界で500万部突破!『ぼく自身のノオト』が約40年ぶりに復刊! 「ザ・フォーク・クルセダーズ」きたやまおさむさんが32歳時に邦訳 装画は中田いくみさん

『ぼく自身のノオト』表紙+帯

『ぼく自身のノオト』表紙+帯

創元社は、ヒュー・プレイサーさん著『ぼく自身のノオト』(訳:きたやまおさむ(北山修)さん)を1月12日に刊行しました。

 

生きるとは? 愛するとは? 『ぼく自身のノオト』が時代を超えて読み継がれる理由

本書は1970年にアメリカの小さな出版社から発表され、たちまち100万部を売りつくし、いまや世界で500万部を突破している、詩集のようなエッセイです。

 
著者のヒュー・プレイサーさんは、本書を書く数年前まで学校のカウンセラーをやっていたという「みんなと同じ平凡な人間」。

その、生き方を確立する方法をさがし求める姿は、働く、愛する、生きるといった人間の本質を捉え、青年期の等身大の思索に成り得ています。

『ぼく自身のノオト』本文より

『ぼく自身のノオト』本文より

 
<なぜ、いま、復刊か?>

(編集担当より)

本書の原本は1970年にアメリカの小さな出版社から発売され、それを人文書院さんが1979年に翻訳されたものです。たまたまですが、私が生まれた年です。

それから数十年後、古書店で本書を手にし、一読、北山修氏の瑞々しい訳のまま復刊したいと思いました。幾たびもの改訂が施されたという複雑な権利関係があり、著作権者との交渉に数年を費やしました。

約40年前の1979年といえば、日本が高度経済成長から安定成長をむかえていた時期。本書の深淵で内向的な志向は、感覚を先取りしすぎていたといっても過言ではなかったように思います。巣籠りが迫られ、自らの働き方や生き方を模索する時間も増え、まさに今こそ必要とされる言葉の数々ではないでしょうか。

一番左が初版。右から2番目が人文書院翻訳版。50年読み継がれている

一番左が初版。右から2番目が人文書院翻訳版。50年読み継がれている

 

訳者はザ・フォーク・クルセダーズのメンバーで精神科医のきたやまおさむ(北山修)さん

現在70歳を越えた、きたやまおさむ(北山修)さんが弱冠32歳で手がけた訳文を、そのままの瑞々しさで復刊しています。

言葉の柔らかさ、芯の強さ、声に出して読む快感など、代え難い翻訳の魅力に溢れています。新装版にあたっての新たな「あとがき」も掲載。

 
◆コラムニスト・山崎まどかさんも推薦!

「13歳から20歳にかけて、この本を何度も読み返し、友だちや好きな人のみんなに貸した。どのページのどの言葉も覚えている。久しぶりに手にとって、これはもしかして、いま必要とされている言葉ではないかと考える。北山修の名訳だ。」

 

装画は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中田いくみさん

台湾で作家活動中の中田いくみさんが今回、海を越えてイラストを描き下ろしました。

 
訳者であり精神科医でもあるきたやまおさむ(北山修)さんは、そのイラストを「両性具有的」と評します。その年齢も性も越えた普遍的なイメージは、本書の本質に他なりません。

装幀全景

装幀全景

 

訳者あとがき(初版時より抜粋)

(北山修)

これは、1976年にBantam Booksから出版された‘Notes to MyselfーMy struggle to become a person’の日本語訳である。著者Hugh Pratherがこれを書いたのが1970年で、そのとき彼は三十二歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。初版はアメリカ南西部のユタ州にある小さな出版社Real People Pressから大した広告もせずに発表され、数年の間に百万部を売りつくしている。内容は、小説でも詩集でもない。個人の日記の抜粋である。原文にはページ数の印刷がなく、どこから読んでもかまわないようになっており、もちろん目次もない。数年前まで学校のカウンセラーをやっていたというこの書き手は哲学者でも文学者でもなく、「みんなと同じ平凡な人間」である。

 
彼はいっさいの虚偽を許容できないらしい。彼は内的な現実をできる限り受けいれて、自らの内部にある真実を読者に伝えようとする。日本語を利用するなら、タテマエを拒否して、ホンネをできる限り表現することで、「ぼく」を確立する方法をさがし求めている。ゆえに、創作性のないこの本を文学性や思想性によって価値づけを行う必要はないし、実際にそんなことは不可能だろう。発想や行動の基盤をつねに「ぼく」に置いて、その「ぼく」の一部や全部が「ぼく」から遊離していくこと、さらに異物が「ぼく」のなかに入りこんで「ぼく」をしばりつけること、を罪悪視するのなら、実に日記という表現形式がもっともふさわしいものだったのである。私たちはホンネを言うことを自らを被害者化することと同じであると考え、「めめしい」と言ってそんな「ぼく」を切りすてようとする。しかし、著者のホンネは、決して弱音を吐くことではなく、自らの弱音をも自らのものとして語って相手と交流しようとする態度は一種の強さでもある。

 

著者プロフィール

 
■著者:ヒュー・プレイサー(Hugh Prather)さん

1938年、米ダラス生まれ。作家、カウンセラー、メソジスト教会牧師。

1970年『NOTES TO MYSELF』によって、ベストセラー・エッセイストとなり、『誠実であるということ』『心のシンプルライフ』(ヴォイス9ほか十数冊の著作がある。妻さんのゲイルとともに、家庭におけるアルコール依存や虐待、また危機をむかえたカップルのためのカウンセリングに長年従事。

「Wisdom Radio」等に自身のラジオ番組も持った。2010年没。

 
■訳者:きたやまおさむ(北山修)さん

1946年、淡路島生まれ。精神科医、臨床心理士、作詞家。

1965年、京都府立医科大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズ結成に参加し、1967年「帰って来たヨッパライ」でデビュー。1968年解散後は作詞家として活動。1971年「戦争を知らない子供たち」で日本レコード大賞作詩賞を受賞。

その後、九州大学教授、白鴎大学副学長などを経て、九州大学名誉教授、白鴎大学名誉教授。現在は精神分析を主な仕事とする。

一般向けの著書には自伝的エッセィ『コブのない駱駝―きたやまおさむ「心」の軌跡』(岩波書店)、前田重治さんとの共著『良い加減に生きる―歌いながら考える深層心理』(講談社)などがある。

 

ぼく自身のノオト
ヒュー・プレイサー (著), きたやま おさむ (翻訳)

青年の普遍的思索。
500万部突破の世界的名著、待望の復刊。

1979年に出版された『ぼく自身のノオト』(原題: NOTES TO MYSELF)を初版時の瑞々しい翻訳で新装復刻。
青年期の心をめぐる、生き方を確立する方法をさがし求める心理エッセイ。

訳者新装版あとがき:きたやまおさむ

装画:中田いくみ(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)

 


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