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『危険なジェーンとよばれても』刊行 米国人女性初のノーベル平和賞受賞者・ジェーン・アダムズが伝記絵本に

米国人女性初のノーベル平和賞受賞者・ジェーン・アダムズが伝記絵本に

米国人女性初のノーベル平和賞受賞者・ジェーン・アダムズが伝記絵本に

岩崎書店は、有名ではないけれど、世界の発展に寄与した女性の姿を描く伝記絵本シリーズ「世界をみちびいた知られざる女性たち」の第2弾『危険なジェーンとよばれても』(文:スザンヌ・スレードさん/絵:アリス・ラターリーさん/訳:小林晶子さん)を刊行しました。

 

アメリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞 世界の平和に力をつくしたジェーン・アダムズの物語

アメリカのイリノイ州で生まれたジェーンは、2歳のときにお母さんを亡くしました。自分も4歳のとき、脊椎カリエスという病気になり、腰が曲がってしまいます。

「つらい」という気持ちがよくわかるジェーンは、「こまっている人を助けたい」という思いを強く持ち続け、大人になってから、みんなが助け合いながら暮らす「ハルハウス」という施設を作りました。

 
そして第一次世界大戦が始まると、「平和をねがう女性の会」を結成。国際女性会議のリーダーとなります。

功績が認められる一方で、国籍問わず人助けをするジェーンはやがて危険人物扱いされ、「危険なジェーン」と呼ばれることに。

けれど、ジェーンは決してあきらめませんでした。

 

ジェーン・アダムスはこんな女性

ジェーン・アダムス(1860~1935年)は、アメリカ・イリノイ州生まれの社会事業家・平和運動家・女性運動家。1931年ノーベル平和賞受賞。

ジェーンは、幼少時から身体が弱く、脊椎カリエス、肺炎、腎臓の病気、心臓発作、がんなどを患っていました。少女の頃、父親と一緒に貧困地区を通りがかったジェーンは、困っている人たちを見て「大人になったら、大きな家を買って困っている人たちと一緒に暮らそう」と心に誓います。

 
28歳のとき、ロンドンで世界初のセツルメント(生活改善施設)「トインビーホール」を見たジェーンは、アメリカでも同様の施設を作ろうと決意。29歳で、友人とともに、シカゴのスラム街に「ハルハウス」を設立します。これは当時、世界最大規模の移民と貧困者のための社会福祉センターとなりました。

 
その後もジェーンは、貧しい人や、自分では声を上げにくい人たちを助けるとともに、女性、アフリカ系アメリカ人の権利を求め、政治家の不正問題にも取り組みました。作家として、民主主義、教育、平和などについて、11冊の本も著しました。そして第一次世界大戦が始まると「平和を願う女性の会」を結成。国際女性会議のリーダーとなります。

 
指導者、開拓者、平和主義者、人道主義者…。ジェーンは、さまざまな呼び方で呼ばれましたが、大戦中も、国籍を問わず貴重な食料を無償で分け与えるなどしたため、とうとうFBIにまで危険人物とみなされました。

「うらぎりもの」「危険なジェーン」と呼ばれても、ジェーンの信念がゆらぐことはありませんでした。
その後も、女性の救援や平和主義の運動で、強力なリーダーシップを発揮し続け、ついに1931年、アメリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞したのです。

 
まだ社会福祉が確立していない当時、「困っている人を助けたい」というゆるぎない思いで、さまざまな社会運動を繰り広げたジェーン・アダムズ。女性に社会活動家という道を切り開いた先駆者といえるでしょう。

 

著者プロフィール

■文:スザンヌ・スレードさん

100冊以上の子ども向けの本を書き、数々の賞を受賞。勇気をくれる歴史上の人物の伝記や、サイエンス・ノンフィクションが多い。機械工学の学位を持つ。日本語に翻訳された著作はこれが初めて。ハルハウスのある米国シカゴに住み、ジェーン・アダムズにずっと心惹かれてきた。

 
■絵:アリス・ラターリーさん

イラストレーターであり、声楽家。本書が初めて手掛けた絵本。ハルハウスをたずね、当時の写真を集めて、この絵本に反映させた。米国サウス・カロライナ州グリーンビル在住。

 
■訳:小林晶子さん

東京生まれ。夫の転勤に伴いイタリア、カナダ、ドイツに暮らす。バベル・ユニバーシティで絵本翻訳を学ぶ。第18回いたばし国際絵本翻訳大賞(英語部門)大賞を受賞。訳書に『こおりのなみだ』(ジャッキー・モリス作、岩崎書店)他。

 

世界をみちびいた知られざる女性たち (2) 「危険なジェーン」とよばれても
スザンヌ・スレード (著), アリス・ラターリー (イラスト), 小林 晶子 (翻訳)

ゆるぎない思い「困っている人を助けたい」

子どもの頃から身体が弱かったジェーンは社会的弱者を助けたいという夢を叶え、ハルハウスを開設します。

ジェーン・アダムス(アメリカ、1860- 1935年)は、アメリカの社会事業家・平和運動家・女性運動家であり、ソーシャルワークの先駆者。

幼少時から身体が弱く、神経症を患っていたが、ロンドンで見たセツルメント運動の先駆けであるトインビーホールを見学し、アメリカでのセツルメント開設を決意。シカゴのスラム街に、当時世界最大規模の貧困者のための社会福祉センターともいえるハルハウスを設立した。

その後、女性の救援や平和主義の運動でも強力なリーダーシップを発揮。1931年には米国人女性として初めてノーベル平和賞を受賞した。

今まで大きく取り上げられることがなかった、しかし確かに大きな功績を残していた女性たちを取り上げた、新しい伝記絵本のシリーズ。

 


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