短歌×エッセイ×自然科学! 稲垣栄洋さん『雑草先生の短歌教室』が刊行
稲垣栄洋さん著『雑草先生の短歌教室』が東京書籍より刊行されました。
短歌という道具(ツール)で、こんな自由が体現できるなんて!
「おじさんだって 自由になれる 短歌という羽根をもて。」
雑草学者で、自然科学エッセイ、そして短歌の名手でもある稲垣栄洋さんが、身のまわりの自然や生き物、日々のよしなしごとを短歌に詠みつつ、抱腹絶倒、悲喜交交の日常を語る、「短歌+エッセイ+自然科学」が融合したハイブリッドな読書体験を提供します。
<「はじめに」>
この本には「短歌教室」というタイトルをつけられてしまったが、短歌を教える本ではない。
私は短歌の先生ではないし、他人に教えられるほど、歌がうまいわけでもない。
短歌というのは、奥が深い。簡単に極められるものではないのだ。
しかし、短歌の門戸は広く開かれていて、ハードルがとても低い。何しろ五七五七七になっていれば、それだけで、もうそれは短歌なのだ。しかも、何ともうれしいことに、短歌を一つでも作れば、それだけで「歌人」を名乗ってもいいらしい。
そんな誘いを真に受けて、私は10年ほど前に短歌を始めた。私はそんな歌人である
そしてこの本は、そのしがない歌人のつぶやきを綴っただけの本なのだ。
(こんな本、本当に売れるのだろうか?)
じつは、私は雑草の研究をする植物学者で、これまで、植物や生物に関する本を150冊ほど上梓してきた。しかしだからといって短歌の本など書いても誰かが読むとは思えない。もしかすると1冊も売れないかもしれない。本書にご尽力いただいた担当編集の方には、あらかじめ謝っておくことにしよう。
しかし……、しかし、である。
もし、あなたが、この「はじめに」を読んでくれているとしたら、この本は誰にも読まれなかったわけではない。バンザーイ! もしかすると、あなたはこの世界でたった一人のこの本の読者かもしれない。そんなあなたに心から感謝である。
短歌はいいものである。とにかく時間をつぶすにはちょうどいい。
人を待っている間、電車やバスを待っている間。スマホをいじるかわりに身の回りを観察してみる。そして、歌を詠んでみるのだ。
つまらない会議のときなどは最高によい。どんなに身体は拘束されていても、脳の中は自由なのだ。
短歌を作ろうと題材を探していると、見慣れた風景の中にさまざまな発見がある。ありふれた日常も少しだけ刺激的なものになる。
不思議と感動することが増える。記憶したい気持ちや思い出は、歌にして心に刻み込む。イヤなことも、つらいことも、すべておいしい歌の題材だ。
短歌はいいものだ。
もし、この本を読んで、もし、この程度ならやってみたいと誰かが思ってくれたとしたら……もしかすると、この本は「短歌教室」と呼んでもよいものなのかもしれない。
2024年 初夏
稲垣栄洋
著者プロフィール
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)さんは、植物学者。専門は雑草生態学。1968年生まれ、静岡県出身。岡山大学大学院修了。農学博士。農林水産省、静岡県農林技術研究所などを経て、静岡大学農学部教授。
中学・高校の国語の教科書に作品が掲載されるなど、植物学や自然科学の知識に裏打ちされながら、生き物の矜持を描く文章に定評がある。
40歳を過ぎてから、中学校時代の国語の先生の勧めで短歌を始める。雅号は「草歩」。コスモス短歌会会員。
著書に『散歩が楽しくなる 雑草手帳』『身近な雑草の愉快な生きかた』『弱者の戦略』『雑草はなぜそこに生えているのか』『生き物が大人になるまで』『生き物が老いるということ』『植物に死はあるのか』『はずれ者が進化をつくる』『生き物の死にざま』『[新装版]仮面ライダー昆虫記』『手を眺めると、生命の不思議が見えてくる』『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』、小島よしおさんとの共著『雑草はすごいっ!』、新しい短歌&俳句鑑賞の手引き『古池に飛びこんだのはなにガエル?』などがある。
![]() | 雑草先生の短歌教室 稲垣 栄洋 (著) |
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